小さな頃から“あんちゃん”と呼んで慕っていた叔父が亡くなったので、
20日にお別れをして来た
19日の昼頃にあんちゃんの家に到着
前回見舞った時と同じ様に、
新幹線と特急バスを乗り継いで(着いた頃にはくたくた)
仏間に寝かされているあんちゃんを見た瞬間に『コレ、夢でした〜とかならイイのに』って思った
どこかで見た顔だなと思ったら、
あんちゃんの母ちゃん(私の祖母)にそっくりなんだと気付いた
姉ちゃん(叔父の奥さん)は、
さっきまで打ち合わせをしていたらしい
通夜から葬式までの予定が印刷されている紙
“点火”と身も蓋もない言葉があった
喪主になったら葬儀屋とあれこれ打ち合わせをして時間通りに色々やって大変…
夕方の納棺まで時間があったので日南の叔母に電話をして、
通夜の時間や翌日の出棺の時間など伝える
私の母親が膀胱にできた癌の摘出手術をした翌日に叔父が亡くなったので、
養生が必要な母親をひとり置いて叔父の葬儀に来られない叔母
電話口で号泣しながら『海彦、頼むね』と何度も云う
養生が必要とはいえ手術翌日には退院しているしひとりで歩けるというのだから叔母も叔父の葬儀に来ればイイのに……
9月に叔父の家に来た時はまだ何とか歩けていて食事も摂れていた弟が亡くなってしまったというのだからそれは相当ショックなんだろうけれど
だからこそ現実を見ないとこれ以降引きずるのではないかなと姉ちゃんと話した
夕方になって葬儀屋さんが来た
手甲脚半などを着けて旅支度してから納棺
手甲着ける時に触れたあんちゃんの身体がめちゃくちゃ冷たかった
親父の旅支度の時も同じこと思ったけどな
葬祭ホールでの通夜が終わって家に帰る途中でコンヴィニエンスストアに寄って晩ご飯を買った
食べながら姉ちゃんに、
『あんちゃんが亡くなったこと、ママ(叔母)は親類縁者に知らせてくれたんやろか?』と訊いたら
『そりゃ知らせてくれてるら』と
亡くなったという連絡を日南に入れたのが17日の昼前、
通夜は19日…もう2日も経ってるんだもんな
……ところがそんなことはなかったのである
眠れぬまま迎えた翌20日
8:00に葬祭ホールへ
出棺経が終わってから棺の中のあんちゃんの顔の周りに花を入れる
冷たいおでこに手を当てて『あんちゃん、またね』と云うだけで精一杯だった
火葬場での収骨は、姉ちゃんの在所のお墓に納骨する分とは別に小さな骨壷を用意してもらい、
あんちゃんの両親が入っている日南のお墓に納骨する分を入れた
四十九日に叔母が来て、この小さな骨壷を持ち帰る段取りになっている
葬祭ホールに戻ってから係の人に尋ねると弔電が2通しか届いていないと云う
日南の親戚からは?
不審に思い叔母に電話を入れて尋ねたら親戚にはまだ話していないらしい
何で?
〇〇伯母さんの遺産相続の件で裁判中でしょ?
(親戚の伯母さんが亡くなってその遺産相続の話が持ち上がったが、あんちゃん達のいとこだかが遺産を使い込んでいたことが発覚…伯母さんの遺言ではあんちゃん達に分配する様書かれていたので、うちの母親と叔母とあんちゃん←姉弟達 が裁判を起こしていたらしい…この話は通夜直前に知った)
裁判を起こしている側の人間がひとり亡くなっているんだから弁護士には連絡しなくちゃいけないし、その他の親戚にも連絡しなくちゃいけないでしょうが
何で連絡してないの?
結構キツく云ってしまった
叔母は『9月に会った時は元気だったのに急に死んだと云われても受け入れられない』と電話口で泣くばかり
嫌な予感はしていたけどまさかここまでとは
叔母が落ち着くのを待って、
◆葬儀に着ている血縁者は私ひとりだけだということ
◆日南に親類縁者がいるということは参列者には知られている
◆うちの母親とママ(電話口の叔母)連名でいいから先ずは弔電を打ってくれ
◆日南にいるあんちゃんの同級生に亡くなったことを知らせてくれたら多分その人から方々へ連絡が行く
◆ママ達のいとこの名前を何人か借りて弔電を打ってくれ
◆弔電を複数打ってくれたらとりあえず葬儀の形としてはそれなりにまとまるから、あんちゃんのことを大事な弟だと思うなら今すぐ弔電打ってくれ←これはキツく云った
参列者や係の人に聞かれない様にホールの外でこんな電話をしていた
冷たくて強い風に吹かれていたけど気にならないくらいには腹が立っていた
肉親の急な死を受け入れられない心情はよくわかる
わかるけどだからこそ葬儀に出て骨を拾わなくちゃいけない
出棺間際は私もぼろぼろ泣いたけど、
焼き上がった(?)あんちゃんの綺麗な頭蓋骨を見たら何かがすーっと下りて行ったのを感じたもん
生身の身体からお骨になったのをちゃんと見なければならないんだなと、
そしてそれが区切りになるんだなと思ったもんな
結局、叔母が打ってくれた弔電は5通
まあヨシとしましょう、と姉ちゃんと小声で話した
あんちゃんが亡くなったことを誰にも知らせていないと知って姉ちゃんも怒っていたので
葬儀告別式と初七日の法要が終わり、
その後は菩提寺に行って四十九日の日にちを決め、家に戻った
葬祭ホールから持ち帰ったお膳をつつきながら、姉ちゃんと“お疲れ様”会をして
バスと新幹線を乗り継いで自宅に戻った
疲れた疲れた
途中で怒ったもんだから余計に疲れた
あんちゃんからはどう見えていたのかはわからないけれども
とりあえずきちんと見送った
来年2月の四十九日がどうなるのか
それはちょっと不安ではある