月白 ‡tsukishiro‡

月白 ‡tsukishiro‡

こちらは日々のうだうだを綴る痰壺ブログでございます。

2015年〜シェーグレン症候群、全身性エリテマトーデス。

2017年〜味覚障害、嗅覚障害。


土日で静岡に行って来ました

昨年末に亡くなった叔父の一周忌で


12月に亡くなったから一周忌も12月、という訳にもいきません

師走はバタバタしてしまうし、
みんな忙しいしね

ってことで繰り上げ一周忌でした


牧之原を過ぎる辺りでバスの中から見上げると空が広い

晴天で寒くもなく爽やか

普段生活しているところとはまるっきり違います


遠慮なく深呼吸して来ました











土用に入ってしまったので庭仕事も草むしりも出来ずもやもや致します

玄関横の花壇に植えたギボウシ『寒河江』『so sweet』は今も元気で、
『so sweet』に至っては花茎をバンバン出してまだまだ花を咲かせようとしております

無駄に元気なんだが…


冬に入ればこのギボウシ達は地上部が枯れます

枯れた後は腐葉土か堆肥でマルチングして春の芽吹きまではそのままなんだけども


如何せん何にもないのが寂しいっちゃ寂しい

昨シーズンは空いたところにアガパンサスの鉢を置いていたんだけども、
アガパンサスは終活で全て処分してしまいまして


このまま行けば冬の花壇が丸坊主


さぁ、どないしましょ


数年前ならクリスマスローズ(ヘレボルス•オリエンタリス)を育てていたのでその鉢でカヴァー出来たけれども

まぁ、このヘレボルスも前の住人が庭に打ち捨てて行った物を養生して大株になるまで育てたので愛着はあったんだけど、
ある夏、酷暑に耐えられず枯れてしまったのでなぁ


1株くらいなら買ってもイイかなぁと思ってネットでいろんな店の物を見てたんだけど高いのね(驚)

ダブル咲きとか希少種とかそんなん求めてないねん

育てやすいスタンダードなやつでエエねん

3号ポットの幼苗で¥1,500超とかなんでやねん


画面にツッコミ入れながらうだうだ云うばかりの休日なのでした








帰宅早々、裏に住むマダムから声をかけられました


『組長さん、ちょっといいですか?』


組長とは私の事

今年度、隣組の組長をしております


マダムは夫婦で裏の借家に越して来て3年程になるのかな、確か


何度か顔は合わせているけれど、

ちゃんと話をしたことはなかったのね



何だろう

何か自治会のことで話があるのかしらん




近くへ行くとマダムは急に声を落としてこう云いました


『組長さんって、あの〜、視える人ですよね』



んん? 何だ何だ(動揺w)



何食わぬ顔をして

『どうかされました?』




するとマダム、

『ちょっとうちの家を見ていただきたくて…』






ざっくり話を聞くと、


①事故物件だとわかった上で住んでいる


②最近窓から得体の知れない何かが出入りしている


③夜中に最近亡くなった妹が窓から入って来て何か云いたそうに私の顔を覗き込んでいた


④押入れの前框に前の住人(?)が書いたと思われる気持ち悪い落書きがある…それを放置していてもいいのかどうか




そんな話だった






マダムが住んでいる借家では、


30年前に住人の老婆が縊死、

20年前に住人の男性が急死、

10年前に住人の男性が急死、


という具合


20年前と10年前に急死した住人については私も見知っており、

同時期に組長だったことから警察の事情聴取も受けた


30年間で3人亡くなっているって結構な事故物件よね


長く空家だったけど3年前にマダム夫妻が越して来て、近所の人は『今度は大丈夫かしら?』とヒソヒソしていた訳



もう暗くなりかけていたので、

また改めましょうと…




んで昨日


お家に招かれまして



玄関入ったところで何か邪なものがビンビン感じられるのね


『窓はここですね』

と云うとうんうんと頷いている



実はこの窓


隣の家の幼児がこの窓に向かって話しかけているのを見たことがあるのでした


『おじちゃん、どこの人? どうして裸足なの?』と窓に向かってずっと声をかけていた、その窓だったのです



外から見ても嫌なカンジのする窓だったけれど、家の中から見ると一層嫌なカンジがマシマシです




通り道になってるんだろうなぁ



『知らない男性が窓をすり抜けて入って来て部屋の中でずっと立ってるの…亡くなった妹もこの窓から入って来たし』



ご主人は何と?



『気のせいだとバッサリです』




そして押入れの前框を見せてもらったのですが、コレが何というか、


云い方が適当じゃないかもしれないけど、

見てはいけないモノだと思いました


見ちゃったけどね


前框には筆ペンの様な物で、


恨んでやる

タヒね

許さない

呪ってやる


びっしりと書かれていて、

一部は彫り込んであるカンジでした


柔らかく云えば負の感情


ストレートに云えば誰かに対する恨み




前框が真っ黒に見える程びっしりと書かれていました



うわーーー

コレ、いつからあるんだろう



不動産屋はこの書き込みの事を何か云ってましたか?



『いいえ…引っ越して来た翌日に荷解きを始めてから気付いたのよ』




とにかくこういうものは目に入れない方がいいので上から塗料などで塗り潰すか紙を貼っておくことをおすすめします…

これは…どう考えてもアカンやつです、



マダムは『明日何か塗料を買って来ます』





『窓はどうしたらいいのかしら』


例えば盛り塩したりとか、

そういうのじゃ効かない気がしたので、


どこかお寺さんに相談された方がいいかもです、と申し上げておきました



素人がどうこう出来るやつじゃありませんわ




真っ黒な靄みたいな物で出来た丸い塊が家の中を飛んでいたり、

窓枠がうおおおおおんって鳴ったりすることもあるそうだから




いやいやいや、よく住んでるなぁ(怯)


まぁ、なるべく早くどこかにご相談されて霊道が塞がれます様に…




寛げない家ってどうなのよ、という話でした


















今日で9月もおしまい


1ヶ月なんて本当にあっという間に過ぎてしまって『早過ぎやしませんか』って思うわ



そんな9月も盛り沢山でした




◆月初めの自治会の掃除当番


◆久し振りの歌舞伎鑑賞(昼夜通し)


◆台風15号にヒヤヒヤ


◆地区敬老会の準備&当日のカオスっぷり


◆自治会例会で紛糾


◆神社の草むしり


◆歌舞伎鑑賞(昼のみ)


◆神社秋大祭とイヴェント





ほほほのほ

全部疲れたわw




楽しめたのは歌舞伎くらい


運良くチケットが取れたのでウキウキで行って来ました♪


久し振り、と書いたけど

前回は令和元年(2019)9月


秀山祭の初回だったと思う(記憶がw)


昼夜通しで観ましたねぇ


吉右衛門、

仁左衛門、


私の大好きな役者を割と前の方の座席で観ることが出来ました


吉右衛門は確か16〜18日を休演して、

代役が幸四郎だったと思う


仁左衛門は夜の部の勧進帳で武蔵坊弁慶の役


孝太郎は義経だったかな、確か



そう…まだ吉右衛門が元気な頃だったんだわ


かっこよかった…本当にかっこよくて他の役者が目に入らんくらい




きちえもーーーーん!(思い出すと寂しい)






んで、今回も秀山祭を観たのですよ


お目当ては仁左衛門ことニザ様だったのだけど、こちらも良かった


途中休演で心配したけれど、

千穐楽(昼の部)に復活!


代役が幸四郎だと聞いたから、

これは千穐楽も幸四郎だろうなぁ…と思っていたので驚きましたが


楽日にニザ様を拝見出来て幸せ、だけどどえらい心配で



ニザ様が登場した時は客席に張り詰めたものがありましたねぇ


みんな似たようなこと思ってたんだろうな



花道をはけていくニザ様の頬に一筋の涙


悔し涙か安堵の涙なのかはニザ様だけが知る



大きい声では云いたくないけど、

ニザ様もそれなりのお歳なのでね


無理はしないでいただきたい



でも10月の歌舞伎座にはまたまた出演予定


ワタクシもツテを使ってチケット取りましてございます




来月も自治会の仕事がてんこ盛りなのでそこらへんはほどほどにして(←)、

歌舞伎座に向けて体調を整えたいと思いますw



最後に…

私が敢えて吉右衛門と呼び捨てにするのは、

吉右衛門を心から愛しているからです

キチエモーン キチエモーン キチエモーン




私もあなたも好きな役者も全部ひっくるめてヒトって致死率100%だから


観られるうちに観ておかなくては、と思ってます



吉右衛門同様愛する仁左衛門ことニザ様のお話はまた改めて




先日、地区の敬老会がありました


何日も前から該当者(80歳以上)に参加するか否かを聞き取りしたり、

記念品や余興の発注をしたりとそれはもう忙しく……




前日は会場の設営で汗をかき…


そして当日


私は受付で参加者のチェックをしておりました



名簿に名前のある人はひと通り来場し、

人数と記念品の数をチェックしていると、

おじいさんが来まして




『◯◯町の◯◯だ! 席まで案内しろ!』




大きな声でこうおっしゃった




慌てて名簿を確認すると、

“当初は参加するつもりだったが用事が出来たので不参加になった”人だった



『欠席する、と伺っていますけれど?』と私が云うと、

『そんなはずはない! 』と怒る怒る



一旦は不参加になったけど用事が途中で済んだから来たんだ、と



うわあ……すごい道理だなぁ、おい



騒ぎを聞きつけて隣の町内の三役のおじいちゃんが飛んできました


『あんた、今日は欠席だって聞いてるよ』



うんうん、そうだね

名簿にもそう書いてあるね(頷く私)



すると、

『とにかく席に案内しろ! 参加だ!』


三役のおじいちゃんは、

『云いたかないがあんた、勝手だなぁ…いつもいつもみんな迷惑してんだよ…悪いけどあんたの席は無いんだよ…お引き取りを』




ズバッッッ!  袈裟斬りッッ!



自分勝手なおじいさんは真っ赤な顔で悪態つきながら帰っていきました




名簿に記載された年齢は88歳


88歳であれだけ大きな声が出るのも驚きだけど、

88歳にもなって敬われる年寄りになれてないのが吃驚だったわ


おい! 案内しろ! ですからね…


何食って生きてきたらあんな偉そうな物云いをする年寄りが出来上がるのよ




嗚呼、やだやだ





会は滞りなく進みジジババ達は私達に、

『楽しかったわ、ありがとね』

『準備も大変だったでしょう? 』と




ねえ! 

さっきのジジイに聞かせてやりたかったわよ



百花百香

100人居たら人それぞれだけどさ



私は周りに迷惑をかけず、

ありがとうが云える、

可愛げのあるじいちゃんになろうと改めて思いました




とりあえずお疲れ様、私


よう頑張った

















『ほら、私って◯◯じゃないですか〜』みたいな云い方をされるとめちゃくちゃ違和感を覚えて、云ったご本人を確実に警戒する様になるんです


だから自分でも『◯◯じゃないですか〜』という云い方は絶対にしない訳です

でもこういう云い方する人は多いよねって印象


便利な云い回しなのかも知れません





昨日ね、地区の当番で早朝から作業していまして


普段挨拶くらいしか交わさないおじいさんと同じグループだったんですね


頑固で取っ付きにくいイメージしか持っていなかったんだけど、
おじいさんがいきなりこう云ったんですね



『あんたんちの花壇、すごく感じがイイなぁ…手入れも行き届いてるし』




おじいさんちも前庭がメドウガーデンっぽくなっていて、一年中花が咲いているのを知っていたので、

『◯◯さんちの庭も素敵ですよね』
って誉めたんですね、心からそう思っていたので



そうしたらおじいさん、好きな花や果樹の話をワーッとし始めてwww

ただの花好きなおじいさんだった


果樹はやってないのかと訊かれたのでパッションフルーツだけやってると云うと、

『アボカドとかジャボチカバやんなさい、面白いから…うちの裏庭にあるからいつでも見においで』と


普通の家の庭でジャボチカバやってるって初めて聞いたわ…ハウスが無いと無理じゃないのかしら



色々話をして最後におじいさんが云いました


『あんた、◯◯じゃないですかって気持ち悪い云い方しないから気に入った』


wwwwwww



ざっと思い返すに、
『アボカドって難しいっていいますよね』
(not アボカドって難しいっていうじゃないですか〜)

『土の配合がキモなんでしょうか』
(not 土の配合がキモっていうじゃないですか〜)


とことん“じゃないですか構文”を使わずに言い換えていたワタクシの妙なこだわり

おじいさんにわかっていただけた様で何より


言葉遣いも綺麗だと誉めていただいてw


じゃないですか構文を嫌う人って一定数いるのかなぁ

まあ、気持ちはわかります



以前の職場で、
『ほら、私ってお肉大好きじゃないですか〜』って云われて、
『貴女が何を好きかなんて全く興味が無いし、それ以前にそう云う表現は好きじゃない』と

バッサリやったら泣かれて面倒臭いことになったのでもう云いませんがw








ひとつ前の記事で、静岡の叔母M宅へ行った話をした


昨年暮れに亡くなった叔父の初盆だったので



お昼ご飯を食べながら色々話をしたんだけど


叔父の一周忌を12月ではなく11月にしようと思ってるんだよね、という話になって



叔母M『その一周忌にさ、海彦のお母さんが“来たい”って云ってるんだよ』


私、は?って声が出てしまった




詳しいことは昨年末の記事を読んでいただくとよくわかると思うんだけど


叔父が亡くなる3ヶ月前に、私の母親と実家で同居している叔母S子(母親の末妹)が九州から叔父に会いに来てる


叔父は相当具合が悪かったんだけど姉ふたりが来たので床から起き上がり、車椅子に乗りながらも元気なふりをしていたらしい



そして3ヶ月後、叔母Mから電話があって『ちょっと危ないかも知れない』と


私は慌てて会いに行った


そしたら、もう口から栄養が取れなくなっていて意識も朦朧としている叔父がいた



下顎呼吸こそしてはいなかったが、これはあんまり時間がないなと思ったんだよねぇ



取り敢えず日帰りで戻り、母親と叔母S子に速達で状況の報告をした


私の手紙が着いた翌日に母親が膀胱癌の手術を受けて、手術の翌々日、叔父の訃報が叔母S子に届いたという訳


叔父が亡くなった翌日に母親は退院したんだけど、叔母S子は末弟が亡くなったとは云えなかったらしい


術後だしショックを受けるからと


叔母S子は何度も私に電話をかけてきて『あんたのお母さんも退院したばかりだし私もお母さんの側にいないといけないし、静岡には行けそうにないし、まだ話せてないし、どうしたらいいの』と泣いていた



取り敢えず母親に叔父が亡くなったことを話してくれよと云い、通夜と葬式の段取りもあるので私は静岡に向かった…葬儀に出られる“叔父の唯一の近親者”だったからきちんと送り出さなくてはと思ったしね




手術•退院したばかりの母親と、母親をひとりにできないからと動けない叔母S子は、3ヶ月前には元気だった末弟が亡くなった事実を受け入れることが出来ないまま年を越した


(葬儀に出て焼き場で収骨するという行為は身内が亡くなったことを現実として受け入れる為に必要なんだなと改めて思うね)



2月の四十九日には叔母S子が九州からひとりで来た(これも確か過去記事にあります…よければ読んでくださいませ)





収骨の際に、九州のお墓にも入れてやりたいから分骨してくれと云われていたのよね


んで、四十九日が終わって叔母S子はお骨と写真を持って帰った訳ですな


ここ重要…“母親と叔母S子の強い申し出により分骨した”という部分


叔母Mは義姉さん達の気持ちを汲んで了承したんだと思う


私は爺ちゃん婆ちゃんの墓に入れてやりたいという考えがイマイチよくわからなかったんだけど



さて、一周忌に母親が叔母M宅に来たい、一周忌に参加したいと云っているという点に於いて…



私は『何故? 』と


何の為に分骨したのかと



昨年9月に静岡へ行った時も叔母S子が母親に同行した


その後の入院手術も叔母S子がなにくれと母親の世話をしていた


母親の週一の抗癌剤治療の際も、車で送り迎えしている


ぶっちゃけた話、叔母S子は相当疲れているんだよな


母親に(精神面でも)依存されて


母親は自己愛性人格障害…

使い勝手のイイ人間にはとことん依存して自分にイイように使う人間



あの人の性格を考えるに、

『お寺さんに挨拶してお世話になっているお礼を云いたい』と主張しているのでは?


叔母Mがそれを聞いて『すごいね海彦、何でわかったの? 義姉さんが電話で云ってたこと、そっくりそのまんまだよ』と


嗚呼、嫌なビンゴゲームだわ


叔母M曰く、

『義姉さんがひとりで来られる訳ないじゃん…S子義姉さんが付き添ってないと無理じゃん…そしたらS子義姉さんが倒れちゃうよ』



確かに…四十九日で静岡に来ていた叔母S子はのびのび過ごしてた様に見えた

いつもいつも自己愛の人間と一緒にいたら精神が参ってしまうよね




それに私が何より許し難いのは“長姉の私がお寺さんに挨拶しなくちゃ誰が挨拶するんだ”という考えが透けて見えるところ


あの人、そういう考え方する人だから


それって叔母Mを軽んじている(昔からそうだったが)


叔母Mが立派に夫を送り出したのを見てないからそんな考え方が出来るんだろう


叔父と叔母の家のことに口出しする気満々ってことだよな


家のことは叔母Mが完璧にやってるのに



叔母Mは『義姉さんがそう思うのは私が頼りないからだろう』と云ったけど、そうじゃない



元々そういう人なだけ



周りにどれだけ迷惑かければ気が済むのか



『一周忌来静は阻止する…分骨を求めた上にまた勝手なことされたらかなわない』

そう云う私を複雑そうな顔で叔母Mは見ていたが私は腹が立って仕方なかった



一周忌法要まであと3ヶ月……嗚呼………










8月14日

行ってきました、御前崎


これまで通り、新幹線で静岡駅まで


静岡駅から特急静岡相良線のバスで南下


途中、自主運行バスに乗り換えて到着



相変わらず遠いw



ねえちゃん(叔母)とは半年振り

元気そうでよかった




昨年暮れの葬儀告別式

半年前の四十九日

そして初盆


よその宗派のやり方を興味深く見ていたけど、

仏さんのお迎えのしつらえも初めて見るタイプで



ひとつひとつ意味があるんだろうけど、

ねえちゃんに訊いても『何だろね?』だったので深く考えないことにしたw



静岡駅は大変な人出だったけど、

御前崎まで来ると人もあんまり歩いてない


静かでイイお盆


相良行きのバスは結構混んでたけど




真夏の風景が日南と似ていて、

あんちゃんがここを終の住処と決めた理由が少しわかった気がした



そして安定の日帰り


こっこ買うの忘れた…私の馬鹿ッ




一周忌は繰り上げて11月になるらしい


……って、あと3ヶ月やん、早ッ






TOTOというバンドを知ったのは16歳の頃


クラスメイトで仲の良かったMちゃんがどハマりしていたのがそのバンドだった


1stアルバムから順に聴かせてもらい、

テープに録音してもらった4枚のアルバムを毎日の様に聴いていた


1stアルバムを聴いた時に

『どこかで聴いたな、この太鼓』と思ったのだけど、それが何か最初はわからなかった


高校時代はAORにも手を、というか耳を差し出していたワタクシw


最初の出会いは小学生の頃…Bozだった


近所のお兄さんが聴いていた

“Silk Degrees”を聴かせてもらって

『何じゃコレは! カッコいい!』


11歳にしてどハマりw


しかもBoz本人という訳ではなくドラムの音がカッコいいという理由


お兄さんは『名も無きスタジオミュージシャンだよ』と云っていたけれど



話は高校時代に戻り…


洋楽を満遍なく聴きまくって、たまに戻って来るのがTOTO


ある日、“Turn Back”を聴いている時に『あれ?あれ?』というモヤモヤが…


このドラム、昔聴いたことがある…

どこで聴いたっけ?

何の曲やったっけ?




Mちゃんに『Jeffはよそのバンドでも叩いてたりした?』と尋ねると『元々スタジオミュージシャンやで、あちこちで叩いてるやん』


スタジオミュージシャンという言葉であの音を思い出した



Bozおじさんとこで叩いていたのは彼?



AORに詳しい友人にクレジットの確認をしてもらうとやはり彼の名前があった



最初に聴いたあのカッコいいドラムはJeffだった



ああああああ、繋がったがな

もやもや解消 のち 納得



素晴らしいドラマーは沢山いるんだけれども、

ワタクシが一番好きなのはJeff Porcaro


11歳で聴いた音が、

16歳で聴いた音に繋がるとは思わなかった




あちこちでイイ仕事をしたJeffの音を今も聴くことが出来る幸せ



そんな訳で今日はBozおじさんとTOTOの曲を聴きまくっている


ドラム

ベース

ギター

ヴォーカル


それぞれの音を分解して聴く癖は正直何とかしたいと思っているんだけれどw







 

あんちゃんの四十九日法要に出る為、

静岡に行ってきた


前日(1/31)に入って一晩あんちゃんちに泊まって、

2/1の11:00から自宅での読経→お寺へ移動して納骨、という段取り



静岡駅のパルシェでマフィンを買って姉ちゃんへのお土産にした


私よりも2日早くあんちゃんちに来ている叔母(日南組)へのお土産はASTYで調達


お茶っ葉、茶蕎麦、

お茶羊羹、うなぎボーン


礼服と靴の入ったトロリーケースにショルダーバッグ、マフィンにお茶っ葉に色々(トロリーケースには横濱ハーバーも2箱入っている)


バスに乗る前なのに既にくたくたw



特急バスに自主運行バスを乗り継いで御前崎へ


相変わらず風強くて鼻がもげるかと思うほど寒かった



着いたら姉ちゃんと叔母が迎えてくれた


叔母とは5年半振り


痩せた私を見て吃驚していたけどw


仏壇とお骨のあんちゃんに手を合わせてからマフィンでおやつにした


美味しいと喜んでもらえたので良かった


叔母からは、

何でそんなに痩せたのか?

猫は元気か?

仕事は順調か?


質問攻め…


とりあえずいつも世話になっているので礼を云う


頭のオカシイうちの母親と同居してくれているので





何だかんだと色んな話をしてその日は終了



2/1…

朝一番のバスでやって来たのは静岡市内に住む従弟甥


『父の名代で来ました!』に笑った


彼の父親Tは私の4歳下の従弟


従弟と最後に会ったのは大叔父の葬儀の時、もう12年前だ(え? もうそんなに経ってるの? 早いなぁ…)


でもその時の印象が薄い

バタバタしていたし…


小学生の頃のイメージが勝ってるんだなぁ


従弟甥のYは父親Tと顔がそっくりで、

物の云い方も考え方も似ていた


遺伝子、仕事してるなぁオイ





11:00に坊さんが来てお経をあげてくれた

途中で唄う坊さん…よその宗派のお経は興味深いですなぁ…何故唄うのか?


その後はお寺に移動して、納骨


石屋さんが骨壷を納める際に、蓋を取って指を掛けていた


私は隣にいたYに

『おじさんのお骨、見とき』と促した


前日の冷たく強い風が信じられないくらい暖かくイイ天気で


天気に恵まれる納骨日、というのも変な話だけど


雨じゃなくて良かった



あんちゃんちに戻ったらすぐにお寿司屋さんが人数分の寿司桶とお造りを持って来てくれた


応対した私は『有難うございます』と云いながら、そういやお通夜の時も葬儀の時も周りの人達に『有難うございます』ばかり云ってたなぁと…




お通夜帰りに寄ったセブンイレブンの店員さんにも、

葬祭場のスタッフの人達にも、

霊柩車を見送ってくれた近所の人達にも、

焼き場のスタッフの人達にも、



何かもう全てに於いて『有難うございます』のひとことに尽きるのかも知れない


色んな人にお世話になるんだもんね







握り寿司のシャリで血糖値が爆上がり、

目を閉じたら眠ってしまいそうな状況を楽しみながらYと一緒のバスに乗って静岡駅まで


上手いこと来たひかりに乗って帰って来た



やっとやっとの四十九日


次は初盆(多分日帰りw)


体力つけておきましょう