ひとつ前の記事で、静岡の叔母M宅へ行った話をした
昨年暮れに亡くなった叔父の初盆だったので
お昼ご飯を食べながら色々話をしたんだけど
叔父の一周忌を12月ではなく11月にしようと思ってるんだよね、という話になって
叔母M『その一周忌にさ、海彦のお母さんが“来たい”って云ってるんだよ』
私、は?って声が出てしまった
詳しいことは昨年末の記事を読んでいただくとよくわかると思うんだけど
叔父が亡くなる3ヶ月前に、私の母親と実家で同居している叔母S子(母親の末妹)が九州から叔父に会いに来てる
叔父は相当具合が悪かったんだけど姉ふたりが来たので床から起き上がり、車椅子に乗りながらも元気なふりをしていたらしい
そして3ヶ月後、叔母Mから電話があって『ちょっと危ないかも知れない』と
私は慌てて会いに行った
そしたら、もう口から栄養が取れなくなっていて意識も朦朧としている叔父がいた
下顎呼吸こそしてはいなかったが、これはあんまり時間がないなと思ったんだよねぇ
取り敢えず日帰りで戻り、母親と叔母S子に速達で状況の報告をした
私の手紙が着いた翌日に母親が膀胱癌の手術を受けて、手術の翌々日、叔父の訃報が叔母S子に届いたという訳
叔父が亡くなった翌日に母親は退院したんだけど、叔母S子は末弟が亡くなったとは云えなかったらしい
術後だしショックを受けるからと
叔母S子は何度も私に電話をかけてきて『あんたのお母さんも退院したばかりだし私もお母さんの側にいないといけないし、静岡には行けそうにないし、まだ話せてないし、どうしたらいいの』と泣いていた
取り敢えず母親に叔父が亡くなったことを話してくれよと云い、通夜と葬式の段取りもあるので私は静岡に向かった…葬儀に出られる“叔父の唯一の近親者”だったからきちんと送り出さなくてはと思ったしね
手術•退院したばかりの母親と、母親をひとりにできないからと動けない叔母S子は、3ヶ月前には元気だった末弟が亡くなった事実を受け入れることが出来ないまま年を越した
(葬儀に出て焼き場で収骨するという行為は身内が亡くなったことを現実として受け入れる為に必要なんだなと改めて思うね)
2月の四十九日には叔母S子が九州からひとりで来た(これも確か過去記事にあります…よければ読んでくださいませ)
収骨の際に、九州のお墓にも入れてやりたいから分骨してくれと云われていたのよね
んで、四十九日が終わって叔母S子はお骨と写真を持って帰った訳ですな
ここ重要…“母親と叔母S子の強い申し出により分骨した”という部分
叔母Mは義姉さん達の気持ちを汲んで了承したんだと思う
私は爺ちゃん婆ちゃんの墓に入れてやりたいという考えがイマイチよくわからなかったんだけど
さて、一周忌に母親が叔母M宅に来たい、一周忌に参加したいと云っているという点に於いて…
私は『何故? 』と
何の為に分骨したのかと
昨年9月に静岡へ行った時も叔母S子が母親に同行した
その後の入院手術も叔母S子がなにくれと母親の世話をしていた
母親の週一の抗癌剤治療の際も、車で送り迎えしている
ぶっちゃけた話、叔母S子は相当疲れているんだよな
母親に(精神面でも)依存されて
母親は自己愛性人格障害…
使い勝手のイイ人間にはとことん依存して自分にイイように使う人間
あの人の性格を考えるに、
『お寺さんに挨拶してお世話になっているお礼を云いたい』と主張しているのでは?
叔母Mがそれを聞いて『すごいね海彦、何でわかったの? 義姉さんが電話で云ってたこと、そっくりそのまんまだよ』と
嗚呼、嫌なビンゴゲームだわ
叔母M曰く、
『義姉さんがひとりで来られる訳ないじゃん…S子義姉さんが付き添ってないと無理じゃん…そしたらS子義姉さんが倒れちゃうよ』
確かに…四十九日で静岡に来ていた叔母S子はのびのび過ごしてた様に見えた
いつもいつも自己愛の人間と一緒にいたら精神が参ってしまうよね
それに私が何より許し難いのは“長姉の私がお寺さんに挨拶しなくちゃ誰が挨拶するんだ”という考えが透けて見えるところ
あの人、そういう考え方する人だから
それって叔母Mを軽んじている(昔からそうだったが)
叔母Mが立派に夫を送り出したのを見てないからそんな考え方が出来るんだろう
叔父と叔母の家のことに口出しする気満々ってことだよな
家のことは叔母Mが完璧にやってるのに
叔母Mは『義姉さんがそう思うのは私が頼りないからだろう』と云ったけど、そうじゃない
元々そういう人なだけ
周りにどれだけ迷惑かければ気が済むのか
『一周忌来静は阻止する…分骨を求めた上にまた勝手なことされたらかなわない』
そう云う私を複雑そうな顔で叔母Mは見ていたが私は腹が立って仕方なかった
一周忌法要まであと3ヶ月……嗚呼………