~西へ~(422) 77日目① 三河国一宮 砥鹿神社Ⅰ(奥宮) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

     
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

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祖国 日本を巡る旅~西へ~も77日目に突入。

 

身支度をしていると空がピンクになってきました。



本日最初の目的地は「三河國一宮 砥鹿神社(奥宮)」です。



奥宮は、本宮山(海抜789m)の山頂に鎮座しております。

      

山頂近くの駐車場に自衛隊の車両と共にエブリイを停め、

        

裏参道を進みます。



眺望を楽しみながら砂利の道を進むと「正一位 砥鹿神社」の額が
掲げられた鳥居。

       

鹿神社奥宮が鎮座する本宮山は東三河地方では中心的な孤峰であり、
山中には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から
信仰対象であったと考えられています。


 参集殿のような建物と大きな釜

   

 愛知県指定天然記念物
砥鹿神社奥宮(本宮山)の社叢   昭和四十七年六月七日指定
 この社叢は、むかしから砥鹿神社の奥宮神域として保護されてきた暖帯自然林で、スギの巨木が林立しています。「本宮山天狗の寄木」といわれる神木は最も大きく根周11m、樹高30mほどで、樹齢は約1000年といわれています。
 昭和34(19599年の伊勢湾台風によって被害を受けたものの、標高700mの高所にヤブツバキ・アカガシなどの暖地性植物がみられるなど、植物分布上も貴重な地域となっています。
   平成六年七月 豊川市教育委員会 -案内板より



 表参道の階段

          
           拝殿前(表参道の階段上)の狛犬


 拝殿



 ご祭神は、(里宮・奥宮ともに同じ)
大己貴命(大国主命) で、ございます。

     

  由緒
 本宮山砥鹿神社奥宮の創祀は、文武天皇大宝年間以前より鎮座さられた事は、社伝に明らかである(約千三百年以前)、海抜七八九、二米に位する、本宮山の秀麗な山姿と全山を覆う樹林は、昔より東海無双の霊域として神聖視され、 殖産の神、護国救人の守護神として広く尊崇され、明治四年の官制より三河国 唯一の国幣小社に列格された、砥鹿神社の奥宮である。
 大神の御神徳は弥々輝き、除災招福、交通安全、等にも広く御神威を垂れ給っている。
社名 三河国一宮 砥鹿神社
祭神 大己貴命(別称大国主命)
例祭 二月六日
特殊神事 一月六日 宝印祭(守見殿神社例祭)
一月十五日 粥占祭
十月十四日 荒羽々気神社例祭     -案内板より



 拝殿ない

  
   本殿(背面)

      
  守見殿神社(大己貴命和魂)

        
    三河国一宮 本宮山 砥鹿神社
           御朱印
     
      

「みちのり」の像
 飛鳥時代の大宝年中(七〇一~七〇四)文武天皇の病気のため、煙厳山(鳳来寺山)に住む勝岳仙人を迎える勅使として来られた草鹿砥公宣卿(くさかどきんのぶきょう)が、 当地にて道に迷われたときに、童子が忽然と卿の前に姿を現し、煙厳山を教えたという故事がある。
 一方、鹿は古来、我国では神に仕える動物として親しまれている。当地域は、本県における鹿の生息地で、現在でも時折野生鹿の姿を見ることが出来る。
 本宮山は、東海道筋から分岐して奥三河へ向かう道程において、目標となる山であり、また、限りない自然の恵みをもたらす山として、地域の人々に あがめられてきた霊峰である -本宮山山頂駐車場横の案内板より





                              つづく






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