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砥鹿神社奥宮の鎮座します本宮山をおり、GSにて
旅の友・エブリイを満腹に。ついでに洗車をして、


訪れた先は「三河國一宮 砥鹿神社(里宮)」です。


砥鹿神社西参道大鳥居 (花崗岩製 総高 7.26m)
市指定文化財 平成二五年一月二一指定
この石鳥居は、もともとは本宮山砥鹿神社奥宮を遙拝するものとして、天保13(1842)
年、岡崎藩家老職の長尾応二郎興達により旧宝飯郡市田村に建立されたものだが、昭和20(1945)年豊川海軍工廠への空襲時に損傷を受け、昭和31(1956)年に当地に移転された経緯を持つ。石鳥居としては市内で2番目の大きさであり、至る所に空爆の被弾痕が見られる。 本鳥居は、近世期以降の本宮山信仰の遺産として、且つまた戦争の悲惨さを伝える平和の象徴として価値を有する。 -砥鹿神社公式Webより


三河國一宮 砥鹿神社(里宮)
祭神 大己貴命
例祭 五月三・四・五日
特殊神事 一月三日 田遊祭
一月八日 弓始祭
二月七日 火舞祭
当神社は、太古より本宮山に お祀りされていたが、今から約 千三百年前の大宝年間、現在地 にお遷しした。爾来、三河國一 宮として、或いは、東海地方の 総鎮守として、広く朝野の崇敬 を寄せられてきた。
現在は、交通安全、厄除守護、 家運隆昌のご神徳が仰がれてい る。社殿は、昭和三十七年に造営 成った。総檜造りの荘厳な建物 である。 -案内板より

西神門と手水舎

社記(天正二年(1574)の「三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起」)では、大宝年間
(701年-704年)に文武天皇の時に天皇の病を鎮めるための勅使として
草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、本茂山(本宮山)の神を
迎えて里宮が創建されたとします。

社殿


ご祭神は、(里宮・奥宮とともに同じ)
大己貴命(大国主命) で、ございます。


神亀石

さざれ石

三河えびす社(二宮・三宮)拝殿


ご祭神:二宮社(事代主命)、三宮社(建御名方命)

境内南の正参道鳥居

正参道神門(表門)

西駐車場の奥に鳥居が見えたので見行くと、
一宮町護国神社が鎮座しておりました。


全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。

三河国一宮 砥鹿神社(里宮)
御朱印
つづく
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