~西へ~(397) 71日目⑩ 但馬国一宮 出石神社・旅泊地 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

     
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

                        (小さい画像はクリックで拡大します)


但馬國もう一つの一宮、出石神社に参拝いたします。



出石神社(いずしじんじゃ)は、式内社(名神大社)、但馬国一宮。
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社です。



            
            狛犬(明治三十九年(1906)十一月建立)


 神門

  

 御由緒
但馬は古代日本において他に類を見ない特徴的な斎祀伝承を有しております。 その中心が出石神社であります。 御祭神は新羅の国の王子天日槍命と伊豆志八前大神(八種の神宝)でございます。 命は日本に渡来後、泥水が充満する当時の但馬の有様を御覧になって、 円山川河口の岩石を切り開くことによって泥水を日本海へと流し、現在の肥沃な平野となった伝説があります。 又鉄の文化を大陸から伝えられ国土開発の祖神として、関係業界から崇敬をうけて居ります。 神社の西方七百米に鳥居という地名があります。 昭和八年河川の改修で土中から鳥居の両柱の木口とその下から開元通宝などの古銭が多く出土しました。 平安時代すでに、国内第一の霊社といわれた往時の様子を伝えるものです。 尚天日槍の子孫として多遅間守命(菓祖、中島神社御祭神)、仲哀天皇の后神功皇后がおられます。
               但馬國一宮 出石神社  -案内板より


     
 平安期(一千年前)の昔と偲ぶ鳥居の遺物
当神社は奈良・平安時代の頃、但馬唯一の霊社として最も隆盛を極めたが、 その第一鳥居は狭間坂(出石町片間)に、第二鳥居は鳥居(出石町鳥居)に建っていたことを云い伝えていた。 たまたま昭和八年出石川改修に伴ひ鳥居橋の橋脚の工事中、地中から此の鳥居両柱の元口と、その下から多くの古銭が発見された。 これは当時の第二鳥居の遺物であり、現在の鳥居の区名が起った由来ともなっている。 平安朝の昔、但馬の国司や都の人たちが国府に着くと、次々にこの鳥居をくぐって出石神社に参向した往時を偲ぶことができる。 重之集下に、
そねのよし ただたぢまにて いづしの宮にて なのりそというものを よめといへば
千はやふる いつしの宮の 神のこま ゆめなのりそや たゝりもそする
暁の まかきにみゆる 朝顔は なのりそせまし 我にかわりて 源重之(平安朝歌人)
立春の日に神馬藻を奉献する神事が今も続いている。 神馬藻を奈乃利曽(なのりそ)と訓じ、海藻のほんだわらのことである。
          但馬一宮 出石神社社務所  -案内板より




 ご祭神は、
伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ、出石八前大神)
天日槍命(あめのひぼこのみこと)   で、ございます。


 拝殿
(舞殿形式。入母屋造平入り、銅板葺。平唐破風出桁造の向拝付き)

         
          拝殿前の縁に置かれた木製神殿狛犬 



社殿は大正三年(1914年)の再建(豊岡市指定文化財)

 
  本殿(三間社流造 銅板葺)

       
         但馬国一宮 出石神社
             御朱印





めし屋を探しながら進みますが、見つけられず旅泊地に到着。



本日の旅泊地・道の駅 久美浜SANKAIKANにて車中泊


第71日目終了

本日の走行距離  118km



                                 つづく






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