近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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竹田城跡は、標高353.7mの古城山山頂に築かれた山城です。
古城山の山全体が虎が伏せているように見えることから、別名「虎臥城
(とらふすじょう、こがじょう)」とも呼ばれています。天守台・本丸を
中心に、三方に向けて放射状に曲輪が配置されており、縄張りの規模は
東西に約100m、南北に約400m、「完存する石垣遺構」としては全国屈指
の規模を誇ります。築城当時は土塁で守られていた城が、最後の城主
赤松広秀により、今に残る総石垣造の城に改修されたとされます。
-竹田城跡公式Webより

北千畳から三之丸に進みます。

三之丸虎口

内側から見た三之丸虎口

三之丸


三之丸石垣(東側・西側)

二之丸食い違い虎口(弐の門跡)

二之丸石垣

本丸(天守台)が近づいてきました。

本丸から南千畳に続く石垣も見事です。

二之丸から見た「弐の門跡」

天守台(本丸)石垣

危険防止の為か?歩くところが制限されています。 チョット残念。

歴代城主
太田垣光景(1443年(嘉吉3年)~1465年(寛正6年))
太田垣景近(1465年(寛正6年)~1479年(文明11年))
太田垣宗朝(1479年(文明11年)~1521年(大永元年))
太田垣宗寿(1521年(大永元年)~1538年(天文7年))
太田垣朝延(1538年(天文7年)~1570年(元亀元年))
太田垣輝延(1570年(元亀元年)~1577年(天正5年))
城代・羽柴小一郎長秀(秀長)(1578年(天正6年)~1580年(天正8年))
桑山重晴(1580年(天正8年)~1585年(天正13年))
赤松広秀(斎村政広)(1585年(天正13年)~1600年(慶長5年))
つづく
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