近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
(小さい画像はクリックで拡大します)
鳥取城 丸の内に建つ「仁風閣」を見学します。

鳥取城 二ノ丸の見事な石垣が見えました。


重要文化財 仁風閣
鳥取市東町2丁目121番地 昭和48年6月2日指定
この建物は、明治40年5月、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の山陰行啓に際し、ご宿舎として、もと鳥取藩主池田仲博公爵によって、扇御殿跡に建てられた。
設計は明治建築最高の傑作である赤坂離宮の設計者として有名な宮廷建築家片山東熊博士によるものと伝えられ、工部大学校での片山東熊の後輩にあたる鳥取市出身の建築家橋本平蔵が補佐し、地元の工匠浜田芳藏が施工にあたったものであり、フレンチルネッサンス様式を基調とする木造二階建の本格的洋風建築で、中国地方屈指の明治建築として著名である。
櫛形ペディメントを主要なモチーフにした端正な正面のたたずまいに、屋上の棟飾りや階段室の八角尖塔屋根が変化を与え、背面一・二階吹抜けのベランダは、軽快で美しい構成を示している。
内部は御座所・謁見所・御食堂の主要室をはじめとして、一・二階の各室とも室内装飾に意が払われ、マントルピース(暖炉飾り)・カーテンボックス・シャンデリアなどの細部意匠にも見るべきものが多い。
殿下ご到着の当日に、鳥取県下ではじめて電灯が灯されるなど明治の文明開化を華々しくうたいあげた記念建築でもある。
「仁風閣」の名は、行啓に随行した東郷平八郎元帥によって命名されたもので、その直筆の額は、二階ホールに現在も掲げられている。 -案内板より

二ノ丸から見た「仁風閣」

松江城址に建つ「興雲閣」も良かったですが、こちら
「仁風閣」も素晴らしいです。


マントルピース(暖炉飾り)・カーテンボックス・シャンデリアなどの装飾

庭では「茶」が出来るようになってます。

仁風閣のガラスは一部創建当初の手作りガラスのままであり、
「ゆがみ」のあるガラスがイイ感じです。




螺旋階段
この階段は支柱がありません。
ささらげた(階板を支えるわき板)が支柱の代わりをしている。
ささらげたは削ったケヤキの厚板を6枚つないで出来ている。
全国的にも稀なものである。 -案内板より


鳥取城破損修復絵図 嘉永3年(1850) 鳥取県立博物館所蔵
嘉永3年(1850)に拡張された二ノ丸の様子が描かれる。この時築かれた石垣は、独特の反りを有しており、稜線に装飾的な加工を施すなどの特徴がある。また、太鼓御門前の大手登城路に面した石垣が地震で崩壊したようで、この際に修復された石垣は、場内唯一の切石積石垣で、白色の花崗岩を用いるなど装飾性の強い石垣である。



つづく
当ブログの無断使用は禁止です。
メッセージにて確認をして下さい。その上で、
文章引用・画像使用の場合は出典元URLを明記して下さい。