近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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仁風閣の各室は、「御座所」「謁見所」など、皇太子殿下が宿舎として
使われた当時の名称で呼ばれています。室内の構造・装飾にも意が
払われ素晴らしい技術の結集を見ることができます。


二階に上がります。

東郷平八郎元帥の揮毫なされた額が掲げられております。

「仁風閣」額

この「仁風閣」の額は、明治40年(1907)5月、皇太子殿下山陰行啓のお供をされ、この建物を「仁風閣」と命名した東郷平八郎大将によって書かれtものです。
-案内板より












御食堂

この部屋は、明治40年5月に「仁風閣」を皇太子殿下御宿舎として使用されたとき、御食堂にあてられました。調理場(この建物の南側、元お米蔵にあった)でつくられたお食事を渡り廊下・らせん階段を経て隣室の供進署に運び、殿下がお席につかれてから差し上げたものと思われます。フェンス内寝椅子などは、そのときのものです。 -案内板より

上から見た螺旋階段





仁風閣で、職人達のすぐれた工夫と技術に感心して、鳥取城を後に。

伝「因幡小鍛冶景長の湯船」

鎌倉時代末期~室町時代の刀工、景長が用いた湯船*と伝える石。大小のくぼみを湯船に見立てたもので真偽は不明。かつては宇倍野山(稲葉山:鳥取市国府町)の谷あいにあり、関ヶ原の戦い後、鳥取城主となった池田長吉が城内に移したと伝える。
*加熱した刀身を浸して焼き入れするための水槽 -案内板より


日本100名城 スタンプ
鳥取城(63)
つづく
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