近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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隠岐諸島の西ノ島に初上陸しました。

島根県の西ノ島は、日本海に浮かぶ島々から成る隠岐諸島の中で人が
住む4島のひとつで、面積56.05平方キロメートル、人口3,161人。

島は山がちで耕地は少ないが、南岸は島前3島に囲まれた穏やかな海で、
良港が多く、北岸は荒海であるが、良漁場であります。

西ノ島大橋(平成十七年(2005)4月開通)

大正四年(1915)、島中央の地峡部を南北に貫く船引運河が開削され、
島南部の港から北部の漁場へ簡単に行けるようになりました。
南岸の浦郷港は隠岐最大の漁業基地となっています。

船引運河

舗装された綺麗な道で快適運転。

本当に日本は道路が整備されています。

本日最初の目的地に到着。


海中鳥居とともに何やらありました。


由良の浜「いか」寄せのこと
●伝説
一、祭神当地にご渡海の際に海に手をひたしたところ美しき姿を見て「いか」が噛みついた。その非礼をわびて「いか」が寄るようになったと伝えられています。
二、神武天皇の御代に祭神が「いか」を手に持って現れたとも伝えられています。
三、当社はもと知夫里島の「いか浜」にあったが浦郷の由良の浜に神社が遷されてから「いか」・が「いか浜」には寄らなくなったとも伝えられています。
四、十一月二十九日の夜には祭神が出雲の国から帰ってこられるので、神帰祭が奉仕されます。
この夜には多少にかかわらず「いか」が寄ると伝えられ戦後も随分このことがありました。
●実績 。
一、昭和三年二月当地の住民二名で数万匹の「いか」を拾い浜は足の踏み場もないほどで、一人は水田、一人は畑を各々一反歩買ったとのこと。
二、昭和二十年秋は、終戦直後で日本中食料難、、金より物の時代、当地の警察官が小舟いっぱいの「いか」を拾い売却し、これを事業資金にして転職したとのこと。
三、昭和四十三年十一日三十日夜、当地の浦郷警察署の署員が歳末警戒の帰途「いか」の寄るのを発見し、署長、非番職員に土地の者も加わって一万六千匹拾いました。
●昔は
「いか」拾い小屋が連立していました。当社は「するめ大明神」「いか神様」として崇敬を集めています。土地の人達は殆ど「いか」拾いの経験があります。
数百匹、数千匹も珍しいことではなく、拾った人の個人所有で上納などのことはありません。
●なぜ最近「いか」が寄らないのか
「いが」が寄るのは十一月から二月まで。日本海中央、大和推の多数のいが釣り船、海況の変化、埋立による由良湾の狭少、養殖いけす、防波堤などの漁業施設、昼夜を分かたぬ漁船の航行などが考えられます。しかし、浦郷湾内にある二統の大敷網には十二~一月は「いか」が沢山とれています。
近年、秋には紅イカ(土地ではドゥタレイカ体長一米)が沢山とれています。
平成四年四月 由良比女神社宮司 -案内板より
つづく
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