近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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「いか」寄せの案内板を読み、その由来が御祭神にあると知り、参拝です。

社頭


狛犬(阿行の顔が崩れてました)


由緒
祭神 由良比女命
例祭 七月二十八日
当社は仁明天皇承和九年(842年)官社に頂き、延喜式神明帳には「明神大」として袖中抄には「わたす宮」土佐日記には「ちぶりの神」として見えたり。
海上守護の神として古来より上下の崇敬篤く外国の使節を遣する際、或は外患を防ぐ時等に鄭重なる祈祷ありと続日本後紀三代実録に記るされたり。
安永二年(1773年)各村の庄屋集りて大祭の儀を復興し、島前一統の祭としてその制を今も尚伝えたり。
隔年に行れる御旅の祭には遠く雲石(島根県)伯耆(鳥取県西部)但馬(兵庫県北部)より、新造の漁船を廻航し競って神船に列せんとしたり、近郷の漁船供奉して漕ぎ競えをなせり。
社前の由良の浜には、毎年十月より翌年二月にかけて「いか」の群集するあり、その寄来る時は滝の如くなり。小屋掛けをして待ちこれを掬い取る。多き時は一夜数千連(1連=20パイ)も押し寄せたり。
十一月二十九日の神帰祭には少しと雖も寄らざることなし。これ遠き古より 今に至るまで、変わることなき不思議の一なり。 -案内板より

随身門

門内に左大臣・右大臣像が安置されています

随身門から境内を眺める


拝殿前の燈籠

拝殿


社殿には見事な彫刻が施されていました。

よく見ると「いか」が彫られています。





本殿(西ノ島町指定文化財)
(明治二十二年(1889)造営。二間社春日造変態・向拝唐破風「春日造変態」)

本殿横には、境内社が並んで鎮座しております。


左より 出雲大社、天照皇大神宮、豊受大神宮


恵比寿宮 龍蛇社


「いか拾い」の写真(平成4年11月29日午前5時)
境内を出て、再び「いか寄せの浜」へ。


「由良比女神社とイカ寄せの浜」案内板。奥はイカ拾い小屋


式内大社 隠岐一宮
由良比女神社 御朱印

由良の浜(いか寄せの浜)と由良比女神社
つづく
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