~西へ~(348) 64日目⑫ 日本100名城 月山富田城Ⅱ・旅泊地 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

     
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

                        (小さい画像はクリックで拡大します)





富田城は靴のような形の月山(吐月峰、標高191.5m)山上に本丸をおく
山城です。北側の正面以外三方は急峻な斜面であり、進入路は、北麓の
菅谷口からの大手道、富田橋を渡った正面の御子守口からの搦手道、南
麓の塩谷口からの裏手道の3か所がある。すべての進入路は山腹の山中御
殿に通じ、急峻な一本道「七曲り」で、詰の城である山頂部へと結ばれます。



山中御殿には工事車両が停まってました。



    

 山中御殿
富田城の御殿があったと伝えられる場所で、通称山中御殿と呼ばれています。月山の中腹に位置する山中御殿は、菅谷口、塩谷口、大手口という主要通路の最終地点ともなっており、最後の砦となる三の丸、二の丸、本丸へ通じる要の曲輪として造られました。まさに山中御殿は富田城の心臓部と言えるでしょう。周囲には高さ5メートル程の石垣や、門・櫓・塀などを厳重に巡らせることによって敵の侵入を防いでいました。整備工事は昭和49~57年度、平成5~8年度で行いました。石垣の調査を中心とした発掘調査では門・石段・井戸・櫓跡などが見つかり、塩谷口で見つかった門跡はなかでも特徴的なものです。 -案内板より


 菅谷口(大手道)の石垣


 菅谷口(大手道)櫓門の石垣


 井戸跡



大手門から入ったところにある郭が御殿平(山中御殿跡)で、ここに山中御殿
と呼ばれる建物がありました。上下二段に分かれており、南側上段には城主の
館、北側下段には附属館舎があったとされます。

     
              山中御殿石垣(中の谷側)


 詰の城である山頂部への「七曲り」登り口

     
                   「七曲り」



やはり、詰の城に行く事は出来ませんでした。
こんなアホな事をしてるのはどこの誰だと思い、役場の観光課に電話。整備工事の担当課を教えてもらい、尋ねると「市長マター」で行われているとの事でした。


      
     日本100名城スタンプ
      月山富田城(65)




本日の旅泊地・穴道湖SAにて車中泊


第64日目終了

本日の走行距離  92km



                                 つづく






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