~西へ~(344) 64日目⑧ 日本100名城 松江城Ⅶ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

     
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

                        (小さい画像はクリックで拡大します)



慶長五年(1600)、 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、
24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立し、慶長十に年(1607)、
末次城のあった亀田山に築城した松江城に登城しております。



 桐の階段
板の厚さ約10センチメートル、階段の幅1.6メートルで1階から4階の各階の間に設けてある。
階段を引上げたり、防火防腐のために桐を使ったもので他の城では見られない特殊なものである。




3階に上がってきました。

     

何故か、武者走りには入れないように柵がありました。



 寄木柱
柱は、肥え松の一本の柱の外側に、板を揃えて寄せ合わせ、これを金輪で締めて太い柱が作られている。
この寄木柱の方が、普通の柱より力学的に強く、吉晴の苦心の作である。





4階に上がります。


 破風ないに設けられた小部屋

      
    武者走り                天井の梁

        

4階から最上階に上がる階段だけに踊り場が設けられ、屈折しております。

   

最上階は内部に取り込まれた廻縁高欄があり、雨戸を取り付けていました。


 松江城天守最上階からの眺め



さぁ、下ります。





     

     



 

再度、現存 天守(国宝)を見て、本丸を後にしました。


         
           日本100名城スタンプ
              松江城(64)

                                 つづく






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