近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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61日目も無事に朝を迎えることができました。感謝です。

まさかとは思いましたが、朝になっても動いでません。
車中泊だったのです。困った輩だ。

朝から腹がた立ったら腹が減ったので、フードコートでラーメン+炒飯
予想通りの味でしたが、岩海苔が良い仕事をしていてまぁ食せた。
広島風ラーメンにしたが、醤油味が弱いのは???
炒飯は炒めではなくレンジでした。

お腹もいっぱい。動き始めます。

本日最初の地は、広島市内の草津緑地と呼ばれる小高い丘に
鎮座しております「草津八幡宮」です。


八幡さんの「一八九段の階段」 一八九は、飛躍・避厄に通じるそうです。


中々、急な階段です。

拝殿


草津八幡宮 (八幡神社)
祭神
品陀和気命(ほんだわけのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)
相殿神
宗像三女神(むなかたさんじょしん)
多紀理姫命(たぎりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)
素盞嗚神(すさのおのかみ)
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
金刀比羅神(ことひらのかみ)
例祭(草津氏神祭) 九月最終日曜日
境内社 戎神社(蛭子大神)
由緒
古来、この草津、古江の地は深い入江であって天然の良港をなし、神武天皇、神功皇后の伝説を多く残している。社伝によれば、推古天皇御宇(五九三-六二八)宮島の厳島神社とほぼ同じくして、この入江の奥に多紀理姫命を海路の守護神として祭ったのが当神社の創祀という。八幡神の奉斎の時期については、諸説が社伝として残り定かではないが、鎌倉時代に武蔵国渋谷郷(現、東京都渋谷区)から当地に所領を得て来住した社家始祖(右衛門大夫または右京大夫と伝える)が宇佐八幡宮より勧請し、古くより当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建し、後に力箭八幡宮と称したと言われる。また一説によると、宇佐八幡宮の社人、宇佐彦が土佐に赴き、七代目の渋谷右衛門大夫という者が当地に来り、宇佐八幡宮より金交石の御分霊を戴き、これを宇佐来山麓に勧請したとも伝えられる。その後、大永四年(一五二四)するに修造。なお、往古は当社の崇敬範囲は己斐より廿日市に至る沿岸部一帯に及んでいたという。昭和六年、近郷六箇村の氏子により境内地の造成と共に総ての社殿が再建造営された。相殿神の宗像三女神の内、市寸島姫命と湍津姫命は明治二十五年厳島神社より御分霊を神馬にお乗せして正式に勧請され、素盞嗚神、倉稲魂神、金刀比羅神は明治末期神社統廃合の折、合祀されたものである。なお、古くは社殿は海浜の近くにあったと伝えられるが、再建の度に高所へ遷され、現在では力箭山の中腹に鎮座している。
伝承
神武東征の多紀理宮(『古事記』は多祁理宮とする)の伝説は当地にも残っており、神社西下より、御幸川の間に仮皇居が在ったという伝承がある。また、神功皇后の朝鮮出兵の折、この地で軍船の船揃えをし、弓矢(箭)の訓練をした事に因み「力箭山」と称し、草津の旧名を「軍津浦」(いくさつうら)というなどの伝承がある。あるいは、往古この地は深い入江であって、草津の地名は宇佐の神を祀る津、宇佐津の訛ったものとも言われる。 -案内板より

本殿

境内からは、眼下の街並みの先に瀬戸内海に浮かぶ島々を
眺めることができました。


戎神社 (左)
御祭神は蛭子大神。商売繁盛・航海安全・漁業の神として信仰があります。
神輿庫 (右)
当社の宮神輿が収蔵されています。この神輿は例祭(毎年9月最終日曜日)の午後に草津町内へ巡行(御神幸行事)し、時折、二基の神輿がぶつかり合う「けんか神輿」として有名です。
草津けんか神輿の由来
草津八幡宮に伝わる古文書によれば、元文5年2月(西暦1740年)に神輿三基を新調したとあり、その後、幾度も新調や改装が行われたと記録にあります。今の神輿は大正13年に作られたものです。元文年間以前の事は不明ですが、今から約270年位前からお神輿による御神幸行事が盛大に行われていた事は確かです。
草津は古くから水運の便に恵まれ、魚市場ができ、漁業を中心に栄えて来た町です。広島市の西、この沿岸部一帯の中心の神社、総氏神様として崇敬されて来た草津八幡宮の例大祭(毎年旧暦8月15日)は、安芸国で最も早い秋祭りとして行われその年の各地の祭りの盛況を占うものであったと伝えられています。
例大祭々典終了後、御神霊をお乗せした神輿は、多くの人達に担がれ、伝統ある「草津祭音頭」を高らかに歌い継ぎながら神社を出発し、草津の町中にある神社(鷺森神社・住吉神社・胡子神社・龍宮神社)を巡行します。
この巡行(御神幸行事)の間、所々で神輿同志を激しくぶっつけ、競り合わせ、組み合わせます。その威勢の良さと華麗さ、賑々しい様は「草津けんか祭」「けんか神輿」として広く知られてきました。
近年、神輿は二基(一基は昭和40年代に破損)になり、平成に入り一時行事が中断するなど、行事の維持に困難な時もありましたが、平成15年より、若い人達を中心にした新しい組織『草津八幡宮神輿保存会』が結成され、年々充実した会となっています。平成17年の例大祭には、二基の子供神輿も加わり、賑やかな祭りとなりました。願わくば昔ながらに三基の神輿が揃い、華麗で活気にあふれた草津祭・御神幸行事が復活する事を願うものであります。 -草津八幡宮公式Webより


安芸国力箭山鎮座
草津八幡宮 御朱印
つづく
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