~西へ~(313) 60日目③ 地御前神社(厳島神社外宮) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

     
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

                        (小さい画像はクリックで拡大します)


後半戦は、安芸国一宮 厳島神社への参拝です。

      

まずは、外宮(現 厳島神社摂社)の地御前神社に参拝

      

 厳島神社摂社 地御前神社々記
一、御祭神
 厳島神社の本宮の御祭神と同じく、市杵島姫命を中心として、田心姫命、湍津姫命の所謂宗像三女神を奉斎せり。
二、御由緒
 御鎮座の年代は祥らかならざるも、社伝には厳島神社(御本宮、内宮)と同じと言ひ伝えられ、即ち御本宮御鎮座の年、推古天皇の端正元年大歳癸丑の年である。明治維新までは、厳島神社御本宮を内宮、地かたの御前の本社を外宮と称えたり。御奉斎の厳島大明神は「道主貴」と称え奉り、専ら、天孫を助け奉り、常に天孫のために海陸の安全を斎ひ奉り給ふ神なれば、古来皇室及び国家の鎮護、海陸の守護神として、盛んに、上下の尊信敬拝を受けさせ給ふ。厳島御本宮の御鎮座記によれば「佐伯の郡の住人佐伯鞍職に幽事を治め、百王を鎮護す」と示現ありしといふ。この御鎮座の所を合浦といふ。
三、祭日 
陰暦五月五日 御陵衣祭。雅楽舞「後の舞」。流鏑馬神事あり。端午の節句。
陰暦六月十五日 管弦祭御洲堀神事。
陰暦六月十七日 厳島御本宮管弦祭。
-案内板より




厳島は古くは神の住む島として禁足地であったことから、対岸の地に創建
され遥拝所となされ、後に平氏が隆盛するとともに外宮として発展しました。
現在は例祭である旧暦6月17日の管絃祭において管絃船(御座船)が本社
(厳島神社)から地御前神社へ渡御します。
(その為か。神社正面、踏切でもないところに出入りが出来るように柵に門がありました)

  

鳥居に掲げられた社号額は、「嚴島外宮社」(海側)と「地御前神社」(社殿側)


 拝殿(桁行九間 梁間三間 入母屋造 銅板葺 大正三年(1914)再建)


 
大きな拝殿で正面からは全景が写りませんでした。


 拝殿を通して拝す本殿


 拝殿ない

 
 奉納された額


本殿(五間社(背面六間)流造、銅板葺、宝暦十年(1760)再建)

 
「皇威輝八紘」の碑         手水鉢



現在の境内は、海・国道・線路・鳥居・道路・社殿となってます。



                                 つづく






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