近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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上宮より西大門 (さいだいもん)を出て石段を右手に下ると、
「亀山神社」、再び上ると「若宮神社」が鎮座しております。

亀山神社(大山積命、祭典日・1月20日):末社

若宮神社(国指定重要文化財):摂社
(大鷦鷯命(仁徳天皇) 大葉枝皇子・小葉枝皇子 隼別皇子・雌姫皇女
祭典日・3月17日、毎月1日15日)


国指定天然記念物であるイチイガシや楠の鬱蒼とした杜(宇佐神宮社叢)
の中「下宮(ご祭神は、上宮と同じ3柱)」に向かいます。

下宮(御炊宮)
下宮の八幡大神は、御饌(みけ)を司るとともに、農業や一般産業の発展、充実をお守りになるご神威を発揮されます。古くから日常の祭祀には、とくに国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われてきました。 -宇佐神宮公式Webより

一之御殿脇侍 大神祖神社
祭神:初代大宮司・大神比義

二之御殿

三之御殿

下宮
嵯峨天皇の弘仁年間(810年代)勅願によって創建され、上宮の御分神をご鎮祭になったことがきっかけで、八幡大神様・比売大神様・神功皇后様は上下御両宮のご鎮座となりました。
「下宮参らにゃ片参り」と云われる所以です。下宮の八幡大神は、御饌(みけ)を司るとともに、農業や一般産業の発展、充実をお守りになるご神威を発揮されます。古くから日常の祭祀には、とくに国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われてきました。 -宇佐神宮公式Webより


兆竹(さましだけ)
往古 宇佐神宮では神事や豊穣、国家の大事を決する時の神意の卜占を、摂社若宮神宮の拝殿にて対馬の卜部が亀甲を焼いて行っていた。
その際、この下の宮境内の竹を用いて熱した亀甲を「冷まし」といわれる。 -案内板より

神門をくぐりぬけ、鳥居をくぐり、

手水舎の所に戻ってきました。

菱形池
欽明天皇三十二年、八幡大神が御現われになった霊池です。その名の所以は宇佐の三山、菱形にかこまれているため。古くから霊池として有名です。
-宇佐神宮公式Webより


頓宮(とんぐう)
頓宮は仮殿、御仮屋ともいわれ、当神宮では夏越の神幸祭(7/31~8/2)が斎行される際に3基の神輿(御鳳輦)がこの頓宮まで御巡幸ののち遷御される。この大祭は明治以前まで御祓会御禊会とも称されたが、古式による独特な祓の儀、菅貫神事が今も行われている。
また現在の頓宮は昭和7年より始まった昭和大造営の折に新築されたものである。
古く元慶4年(880年)には33年毎の式年造替が行われ、この頓宮一帯に上宮、外宮、若宮の各本殿と寸分たがわない白木造りの「仮殿」が建てられた。
しかしこの仮殿の造営も中世戦乱のため次第に行われなくなり、延宝8年(1680年)には神橋付近に頓宮が造営され昭和初期まで使用された。
尚、宝物殿には我が国最古の建築指図である「宇佐宮仮殿地判指図」(国重文・鎌倉時代)や、「応永の古図」また「宇佐宮絵図」が展示されており参考にされたい。
-案内板より

頓宮
七月末、八月上旬毎年行われる神幸祭に、三日二夜の間御滞在になる御旅所(おたびじょ)に当る社殿です。昭和御造営に臨み、大鳥居の外側にあった社殿を応永年間の頓宮旧蹟に復されました。昔の造替の時の上宮、下宮、若宮の頓宮は、当時の各社殿に準じ、大きな規模であったことが古図に残っています。
-宇佐神宮公式Webより

八幡総本宮(豊前国一宮)
宇佐神宮 御朱印
つづく
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