近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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もう一つの筑前國一宮 筥崎宮に到着です。


筥崎宮(はこざきぐう)は、式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社、
現在は神社本庁の別表神社です。
別称として筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)とも呼ばれ、三大八幡宮の
一つに数えられております。


博多湾・お潮井浜(箱崎浜)から長い参道が本殿まで続きます。


高燈籠
石造りで均整の取れた灯篭で、高さは約6メートルあります。箱崎浦の漁師が博多湾に出漁するため、帰船の目印として造ったもので、最初の燈籠は文化14年(1817)に完成しました。夜には、漁師たちが当番制で火を灯したといわれています。
年を経て風雨のため朽ち果て石畳を残すのみとなったため、明治15年(1882)に現在地に移し、上部を石造りにしました。
当時、この燈籠の前は波打ち寄せる浜で、満潮時には、燈籠の台石を洗ってました。このあたちの砂地は、白砂青松の綺麗なところでした。
付近には、明治42年(1909)に洋館の汐湯(抱洋閣)が、明治43年(1920)に水族館が完成し、明治44年(1911)には市内電車が開通し、多くの人が訪れていました。
現在の燈籠は、明治43年(1968)に修築されたものです。 -案内板より

振り返り、お潮井浜(箱崎浜)を見る


社名の「はこ」の字は円筒状の容器を意味する「筥」が正字であり、
「箱」ではない。ただし筥崎宮の所在地・駅名などは筥崎宮の「筥崎」では
筥崎八幡神に対して恐れ多いという理由から「箱崎」と表記されてます。

一ノ鳥居(石造)
黒田長政により慶長十四年8(1609)に建立。
鳥居の柱は3つに切れ、下肥りとなり台石に続く。笠木島木はひとつの石材で、
先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ。筥崎鳥居と称されます。


鳥居前の籠神社型狛犬(大正二年(1913)5月建立)

物凄く立派な楼門が見えてきました。


筥崎宮の由緒
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。 -筥崎宮公式Webより
つづく
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