~西へ~(257) 53日目① 旧陸軍大刀洗飛行場跡Ⅰ(慰霊碑) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
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53日目。今日も良い天気になりそうな朝です。



本日は、西日本の陸軍航空隊発祥の地・大刀洗飛行場跡に建つ、
「大刀洗平和記念館」へ行く予定ですが、まだ少し早いので、周辺に建つ
慰霊碑と遺構へ向かいました。

     
   
 忠霊塔(左)

 特幹の碑(右)
太刀洗陸軍飛行学校 甘木生徒隊
 碑文
陸軍特別幹部候補生操縦一期生、約三千名が大刀洗陸軍飛行学校甘木生徒隊に入校したのは昭和十九年四月であった。
「我こそは大空の決戦場へ」を合言葉に、汗と涙の厳しい地上基礎訓練の日々を重ねた我々は、七月末、生徒隊課程を終了して各地の操縦教育隊に配属され、憧れの操縦桿を握った。
そして昭和二十年八月、ある者は南海に散華し、ある者は空爆の犠牲となり、
ある者は特攻待命中に戦いは終わったのである。
  特幹の歌
 "翼輝く日の丸に 燃える闘魂眼にも見よ
 今日もさからう雲切れば 風も静まる大刀洗 ああ特幹の大刀洗"
あれから五十有余年-我々はあの甘木生徒隊を原点とした同期戦友の熱い絆を残してきた。
そして激動の時代を共に生き、そこに我々なりの真実を尽くしたことを自負しつつ、
平和な日本再建への先駆けともなった矜持と、亡き同期戦友らへの鎮魂の思いをこめて
ここに「特幹の碑」を建立し、昭和の歴史と魂を永遠に後世へ伝えるものである。
   平成十年六月吉日  陸軍特別幹部候補生 操縦一期生


「特幹の歌」全歌詞
 作詞:清水かつら  作曲:佐々木俊一  唄:藤原義江
1.翼輝く日の丸に 燃える闘魂眼にも見よ 今日もさから う雲切れば 風も静まる大刀洗 ああ特幹の大刀洗
2.強く雄々しい若松に 匂う暁宇品港 ゆくぞ波風岩も裂 く 船の男児の心意気 ああ特幹の心意気
3.吹けよ朝風 初陣の 翼さやかな肌ざわり 胸の火玉に 昇る陽に 命捨て身の武者ぶるい ああ特幹の武者ぶるい
4.叩く敵陣矢がつきりゃ なんの当身の弾吹雪 母もみて いるきいている 船と翼の勝ち名乗り ああ特幹の勝ち名乗り


     
   南溟高射砲兵之碑           飛行第九十八戦隊戦没者之霊
          
         
           甘木女子挺身隊の碑 


 朋友の碑
少飛十五期大刀洗会
  碑文
突兀と聳え立つ古処の霊峰と、慈母にも等しい筑紫次郎の流れとに抱かれた、茲甘木の町にかって大刀洗陸軍飛行学校甘木生徒隊があった。
それは太平洋戦争も急を告げる昭和十八年の秋であった。我々二千余名の若人は従来の学業をなげうって、全国各地から少年飛行兵第十五期生として入校したのである。
爾後日夜伝統ある飛行兵魂の鍛錬に邁進したかいあって、ある者は朔風すさぶ北蒙の前線基地へ、更には南十字星輝く南の基地へ飛び立ち大活躍したが、戦いは日本に利あらず戦争は終結した。
今にして顧みると、この間祖国護持と同胞の平和安泰を願い散華した朋友と泌々と偲ばぬ日はない。生命ありて、今日の日本の繁栄と平和に満ちた種々相をみるにつけ、かかる尊い犠牲を基盤にしてこそ今日の新生日本は建設されたのではあるまいかと。
我々少飛十五期大刀洗会はかく観じ、生徒隊ゆかりの故地に在天の英霊の冥福を祈ると共に、今後我らは新興日本建設のために寄与することを誓い、朋友の碑を立つるものである。
     昭和四十七年六月十一日  少飛十五期太刀飛会



 朝日に光る蜘蛛の巣(甘木公園)





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                                 つづく



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