~西へ~(246) 42日目⑩ 旧海軍航空隊出水基地(出水特攻碑公園Ⅰ) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら




特攻碑公園に着ました。

    
    出水海軍航空隊の歴史 
出水における飛行場築造は昭和十三年ごろから行われ、昭和十五年から飛行機の発着が始まりました。昭和十六年四月一日には佐世保海軍航空隊出水分遣隊が置かれ、昭和十八年四月一日に出水海軍航空隊として開隊されました。当初は訓練航空隊でしたが、昭和十九年から実戦部隊の基地となり、二百六十名を超える多くの特攻隊員が南方の空に散ることとなりました。また、この基地を含めて周辺も、アメリカ軍による激しい空襲を受けて、航空隊員や民間人に多くの死傷者が出ました。この公園は昭和四十三年に一部開設され、若き英霊を弔うために昭和三十五年に建立された特攻碑が、基地跡とともに昭和五十四年に特攻碑保存会(当時)から市に寄贈されて、現在の姿となっています。 -案内板より

  
  衛兵塔
旧出水海軍航空隊の正面道路脇に設置され、基地の入口に衛兵が立哨し警戒したところです。
徴兵塔の外壁には、爆撃による弾痕が残されています。


     
      掲揚台

 

公園内には防空壕が保存されております。



扉が開いているので、中に入る事が出来るようです。


 防空壕
この防空壕は、昭和十九年に開設された地下戦闘指揮所の地下壕です。
空襲の激化に伴い、この壕内から全ての戦闘指揮がなされました。
壕の入り口は四箇所ありましたが、その内二箇所は空襲により破壊されました。
          出水市教育委員会 -案内板より


      

壕の中に入ると何やら水が流れる音が聞こえます。

 

途中で折れる階段を下りきると正面は行き止まり、左手に
コンクリートの部屋・戦闘指揮所です。

     

戦闘指揮所を通り抜け、地上に戻ります。

        


 反対側の出入口

   
  防空戦闘指揮所 敵機銃撃による破片



                                 つづく







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