近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
枚聞神社の拝礼を終え、次なる地へ。

北海道なら「〇〇が石になった」と伝説がありそうな岩を見て走り、

到着した先は、枕崎市南端に突き出た岬にある
火之神公園の一角「平和祈念展望台」です。


戦艦大和など第二艦隊の慰霊碑
―慰霊無限― ~御霊よ、安らかに~
太平洋戦争末期の昭和20年4月7日、戦艦大和を旗艦とする第二艦隊が沖縄決戦へ向かう途中、米軍機と死闘の末、枕崎沖西南西約200キロの東シナ海で撃沈。戦艦大和、巡洋艦 矢矧、駆逐艦 磯風、濱風、霞、朝霜6隻の戦艦と3721名の若き命が海の藻屑となりました。
戦争という歴史上の出来事を後世に語り継ぎ、幾多の殉国の英霊に感謝し、その御霊を永久に供養するとともに、世界の繁栄と平和を願うために、平成7年に「平和祈念展望台」が建立されました。-平和祈念展望台奉賛会公式Webより

参道には多くの石灯籠が立ち並びます。


殉難鎮魂之碑と女神像

殉難鎮魂之碑 戦艦大和などの御霊に捧ぐ

この展望台は、太平洋戦争の末期、戦艦大和を旗艦とする第二艦隊が、沖縄決戦へ向かう途中、米軍機と死闘の末撃沈した海域を眺望できる場所に造られました。
第二艦隊の旗艦である戦艦大和は、ここから西南西約二〇〇キロの水深約三四〇メートルの海底に沈んでおり、その右方に巡洋艦矢矧、駆逐艦磯風、濱風、霞、朝霜の順に沈んでおります。
このことは、戦艦大和会を中心に結成された「探索会」が、昭和五十五年七月の第一次海底探査、昭和五十六年四月の第二次探索、昭和五十七年五月の第三次探索により同水域を沈没地点と断定。昭和六十年八月には、海の墓標委員会がイギリスの潜水艇パイセスニ号の協力を得て行った潜行調査で確認。また、平成十一年八月テレビ朝日がタイタニック号の水中撮影や船体の一部引き揚げを手掛けたフランスのサルベージチームの協力を得て行った二隻の潜航艇による潜水調査で確認されております。
-案内板より

記
戦後五十周年事業として平和祈念展望台建立に あたり 海上特攻隊大和を旗艦とする 第二艦隊に加えて全国各地より出撃しました四千余隻の沈没艦船が今なお太平洋海域で そのままになっており何十万の御霊は収容されないまま船内に残されておりますが約六十万御遺族のご心痛を御察し しまして ここの場所よりも慰霊の真心を捧げることのできる展望台にさせて いただきました。
私達は今日の日本経済発展と平和享受の?に幾多の御霊の存在の事?を後世に 傳えてまいりたいと念じているものであります。
平成七年四月七日 平和祈念展望台奉賛会

慰霊碑

第二艦隊沈没地点を指し示す石標

この先、約二〇〇キロに第二艦隊は沈む


全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。
つづく
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