~西へ~(288) 39日目③ 大隅国一宮 鹿児島神宮Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





大隅國総社に続いての参拝は、大隅國一宮であります「鹿児島神宮」です。



参道入口には「三之社」が鎮座しております。

     
 二の社:武甕槌命、経津主命    一の社:豊姫命(神功皇后の御妹神)、
                            阿曇磯良命 

        
    三の社:火蘭降命(阿多の君の祖神)と大隅命

    

真っ直ぐに延びる参道を進むと、二の鳥居、そして、神馬舎。



参道神橋(太鼓橋)、階段の左右に御門神社

      
 雨之社:豊玉比古命(豊玉姫の御父神)   御神木(樹齢凡そ800年・
                                   建久年間植樹)

        

石段を上りつめると右手、南向きに社殿群が鎮座します。



 大隅一ノ宮 国分正八幡 鹿児島神宮由緒概要 
鎮座地:鹿児島県姶良郡隼人町内2496番地
日豊本線隼人駅より徒歩15分  肥薩線日当山駅よりバスの便あり
御祭神:天津日高彦穂穂出見尊 豊玉比売命
 相殿 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、同皇后
御系統:天照大御神(伊勢神宮)-天忍穂耳尊(英彦山神宮・福岡県)-瓊瓊杵尊(霧島神宮)-彦穂穂出見尊(当宮)-鵜鴎茸不合尊(鵜戸神宮)-神日本磐余彦尊(神武天皇・宮崎神宮)
 由緒概要
創祀は皇孫神武天皇の御代なりと伝えられる。
農耕畜産漁猟のみちを指導し民政安定の基礎を創り給うた。
俗に大隅正八幡とも称し、全国正八幡の本宮でもある。
延喜の制(901年)には大社に列し、大隅一ノ宮として朝野の崇敬篤く、建久年間(1198年)には社領2500余町歩に及べり。
明治4年国弊中社、同7年神宮号宣下宮弊中社、同28年宮弊大社に夫々列格す。
昭和天皇陛下の行幸勅使皇族の御参拝は二十余度に及ぶ。
現社殿は宝暦6年(1756年)島津重年公(24代)の造営なり。
 祭典並びに特殊神事
例大祭 旧8月15日・七夕祭 8月7日・七種祭 1月7日・初午祭 旧正月18日・藤祭 旧3月10日・御田植祭 旧5月5日
信仰玩具:全国に有名であり情緒豊かな野趣と色彩を示している。
鯛車、初鼓、化粧箱、土鈴、鳩笛、笛太鼓、羽子板、はじき猿等がある。
御陵:高屋山陵と称し当宮より西北へ13キロメートル空港に近い。
-案内板より


   
  県指定 有形文化財 
鹿児島神宮本殿・拝殿・勅使殿 平成2年3月23日指定
 鹿児島神宮本殿は、宝暦6年(1756年)島津重豪(しまづしげひで)によって再建されたとされ、県内最大の木造建造物として文化財的価値が高いため、鹿児島県より有形文化財(建造物)として指定されました。
 本殿の構造は、柱間が正面七間、側面四間の入母屋造り(いりもやづくり)で、正面に前室を設けてあります。
本殿の壁画は薩摩藩の画家、木村探元(きむらたんげん)の筆になると伝えられています。
 本殿につながる拝殿は縦長で、天井の格子には、花や野菜等が色彩豊かに描かれています。
勅使殿は神殿社殿の入口に位置し、天皇から弊帛を託された勅使をお迎えする所として作られています。
        霧島市教育委員会   -案内板より



 勅使殿






                                 つづく







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