近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
38日目です。昨晩遅くに来たトラック2台も朝には居なくなっており、
がら~んとしたPAで身支度、元気に出発します。

旧 第一国分海軍航空基地・現 陸上自衛隊国分駐屯地にあります、
「特攻機発進之地」の碑に向かいます。
(第二国分海軍航空基地は、現鹿児島空港(十三塚原)付近)

碑の建つ場所が分からなくて、正門にて歩哨に立つ自衛官にお聞きすると
「分からないので」と、班長を呼んで下さり、その方も「分からないから広報に
電話をして聞いてください」と丁寧に応対してくれました。ありがとうございました。
駐屯地の広報に電話をすると正門の真ん前でした。

特攻機発進之地(昭和三十九年(1964)八月十五日建立)

国分海軍航空基地
略歴
昭和19年 3月15日 出水海軍航空隊国分分遣隊を設置
昭和19年 3月 1日 鹿児島空卒業の甲飛12期入隊(飛練37期)
昭和19年 7月28日 鹿児島空卒業の甲飛13期前期入隊(飛練39期)
昭和19年 8月15日 国分海軍航空隊開隊、第十二連合航空隊に編入
昭和19年 9月 奈良空卒業の甲飛13期後期入隊(飛練41期)
昭和20年 1月 奈良空卒業の甲飛13期後期入隊(飛練42期)
昭和20年 3月 1日 解隊、観音寺空に移転、諸施設を実施部隊に譲渡
以下、神風特別攻撃隊
昭和20年 3月18日 菊水部隊 彗星隊 九州東方機動部隊攻撃
昭和20年 3月19日 菊水部隊 彗星隊 九州南東方機動部隊攻撃
昭和20年 3月20日 菊水部隊 彗星隊 九州南東方機動部隊攻撃
昭和20年 3月29日 菊水部隊 第二彗星隊 種子島南方機動部隊攻撃
昭和20年 4月 3日 第三御盾隊 沖縄北部機動部隊攻撃
昭和20年 4月 3日 第三御盾隊 奄美大島南方機動部隊攻撃
昭和20年 4月 6日 第三御盾隊 沖縄北部機動部隊攻撃
昭和20年 4月 6日 第三御盾隊 奄美大島南方機動部隊攻撃
昭和20年 4月 6日 210部隊 彗星隊 徳之島東南方機動部隊攻撃
昭和20年 4月 7日 第三御盾隊 沖縄北部機動部隊攻撃
昭和20年 4月 7日 第三御盾隊 奄美大島南方機動部隊攻撃
昭和20年 4月11日 第三御盾隊 喜界島沖機動部隊攻撃
昭和20年 4月11日 第三御盾隊 奄美大島南東機動部隊攻撃
昭和20年 4月11日 210部隊 彗星隊 徳之島東南方機動部隊攻撃
昭和20年 4月11日 210部隊 零戦隊 沖縄東方機動部隊攻撃
昭和20年 4月15日 第三御盾隊 沖縄中飛行場攻撃
昭和20年 4月16日 第三御盾隊 喜界島沖機動部隊攻撃
昭和20年 4月16日 菊水部隊 第二彗星隊 喜界島南東機動部隊攻撃
昭和20年 4月17日 第三御盾隊 喜界島沖機動部隊攻撃
昭和20年 4月17日 第三御盾隊 喜界島沖機動部隊攻撃
昭和20年 4月17日 第三御盾隊 奄美大島南東機動部隊攻撃


特攻機発進之地
碑文
この地は、大東亜戦争中の昭和18年出水海軍航空隊が設けられ翌十九年八月十五日国分海軍航空隊として開隊、連日隊員の訓練を重ねたところであったが、昭和20年初め敵軍沖縄に迫る頃 海軍特別攻撃隊の基地として使用され、二百人余の若き勇士達が莞爾として雲流るる果て、遥か逝きて帰らざる壮途につき、祖国の危急に殉じた思い出深い土地である。この碑は悠久空しく散華せる、これら若人の御霊のとこしえに安らかならんことを祈念して以て祖国の平和復興に資せんため、国分市及び自衛隊並びに一般有志たちの浄財と陸上自衛隊国分駐屯部隊の労力奉仕によりこれを建立したものである。
昭和三十九年八月十五日
国分基地発進特攻隊
第一国分海軍航空基地 特別攻撃隊 241名が特攻戦死
第二国分海軍航空基地 特別攻撃隊 186名が特攻戦死
全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。
つづく
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