~西へ~(284) 38日目⑨ 海上自衛隊鹿屋航空基地周辺の慰霊碑 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


鹿屋航空基地史料館の見学を終え、受付にて、周辺の
慰霊碑についてお聞きし、拝礼に向かいました。
この時、防衛省の管轄である事、職員である事を確認し展示内容「桜花の人間爆弾という表記」について質問しました。返答は「表記に問題なく、防衛省としての公式の考え」だそうです。


 鹿屋の町並み


 「櫻花」の石碑
(表)
神雷特別攻撃隊員 別杯之地 櫻花 山岡荘八(揮毫)
(裏)
神之池基地及びその他の基地より志願して来た特別攻撃隊員は、日本最南端の九州鹿屋の野里村小学校に結集、昭和20年3月21日より同年6月22日まで出撃を継続し散華していった。神雷部隊の後続は竜巻部隊と呼称、その中には櫻花隊、攻撃隊、爆戦隊があった。私もこの時海軍報道班員として野 里村の百姓屋に住み、隣家にあられた特攻隊育ての親岡村基春司令の謦咳に接し、戦況の推移を具にこの眼に焼きつけたが、連日、紅顔の還ること無き出撃隊員を、血涙で見送った辛い思い出がある。この若き戦士達の鎮魂を希い全日本人の感激を籠めて撰文と為す。
 於世田谷空中庵茶経室 山岡荘八
  昭和53年3月吉日  建立者元櫻花隊員 小城久作 妻泰子

*山岡荘八氏は、神雷部隊と生活を共にした報道班員


 建碑由来
建碑者小城久作君は此の鹿屋で特攻隊員として祖国の危機に参加した同志の霊を葬い、今後このような戦争の無い平和国家日本への祈願を籠めて、戦後33年目に漸く私財を投げうって私との約束を果たして呉れた。この野里村 の宿舎は私が海軍報道班員として岡村司令と寝食を共にし度々の空襲にも逢って具に隊員たちの生活を見聞きして来た、思えば切なく懐しい土地である。本来自分の名前は出さないという小城君の希望であったが彼の純一無雑な心情から発した建碑であるだけに敢えて私は記名するように助言した。特攻隊訓練の地茨城県の神之池にも建碑する。くだくだしいことは言わないがこの碑を見て改めて今後の若い人達の何かの心の支となり尊い散華の跡を末長く見守って行って頂けたら小城君としても此の上ない喜びであろう。  山岡荘八

    
           碑の隣りに鎮座します「朝日神社」

 神雷特別攻撃隊(別盃の地)桜花の碑
神雷部隊とは昭和20年2月から鹿屋航空基地に司令部を置いた第5航空艦隊所属の第721海軍航空隊、人間爆弾「桜花」の部隊をいい昭和20年3月21日より6月22日までの間特別攻撃隊として出撃し南海の空に散った戦友の霊を祀るために昭和53年3月に第721海軍航空隊の特攻隊員であった小城久作氏が神雷部隊が宿舎にしていた旧野里小学校の跡地に碑を建立したものです。
碑文には当時海軍報道班員として野里村に住み神雷部隊の隊員と親交があった作家山岡荘八氏の撰文が刻まれている。
第1航空隊は平成2年2月からメモリアルオペレーションとして「桜花の碑」の清掃奉仕活動を毎月行っています。
-海上自衛隊鹿屋航空基地公式Webより


航空特攻兵器 桜花
 「桜花」は機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器で、母機に吊るされて目標付近で分離し発射される。その後は搭乗員が誘導して目標に体当たりさせる。
 戦果
駆逐艦等 7隻(1隻撃沈 2隻大破除籍 1隻+2隻大破 3隻損傷)
戦死者149名  負傷者197名
 損失(出撃10回)
戦死者 桜花搭乗員55名 母機搭乗員は365名



続いて訪れたのは、

     
     旧鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔(小塚公園)



 旧鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔
鹿屋基地は、太平洋戦争の末期、昭和20年2月から特攻作戦の基地として使用され、特攻で沖縄へと鹿屋の地を飛び立ち再び帰ることがなっかた1千余名もの若者の御霊を祀るために昭和33年3月20日鹿屋市今坂町に慰霊碑が建立されました。
塔の高さは11メートル、塔の上には南海の空に向かって飛び立とうとしている翼を広げた平和のシンボル、白鳩がのっています。
塔の銘板には特別攻撃隊戦没者908名の階級氏名、出撃年月日、特別攻撃隊名、出撃者数が刻まれています。
鹿屋市では毎年4月に関係者や遺族の方々を招いて慰霊祭を実施しています。
第1航空群は慰霊祭に際しP-3Cによる慰霊飛行、儀仗隊、音楽隊等の派出の支援をおこなっています。
-海上自衛隊鹿屋航空基地公式Webより


 
 碑文 (左)
今日もまた黒潮おどる海洋に 飛びたちゆきし友はかえらず
太平洋戦中鹿屋航空基地より 飛びたち肉弾となって散った 
 千有余の特攻隊員 御霊よ安かれ 必ずや平和の礎たらん 
 昭和35年3月20日 鹿屋市


旧鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者名(908名)(右)
(階級氏名、出撃年月日、特別攻撃隊名、出撃者数が刻まれています)





全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。




                                 つづく







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