近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

夜明けだね。青から赤へ色うつろう空。

35日目。本日最初に訪れたのは「日向國総社 都萬神社」です。


南の鳥居


お乳の神様のいわれ
都萬神社の御祭神、木花開耶姫は、三つ子の皇子を無戸室の産屋でお生みになり、母乳だけでは足りないので、狭田の稲で甘酒を造り、これをお乳代わりに御養育されたと伝えられ、いま尚秋の大祭には甘酒を造って奉献する習慣が残っています。
-案内板より


垂れ耳、巻き尾で漫画チックな狛犬

拝殿

拝殿ない

都萬の大太刀
宝徳二年(1450)、妻町の付近の鹿野田の住人日下部成家が、備前則次らに鍛えさせ、
都萬神社に奉納したもの。
総長 一丈一尺八寸五分(約3.54m)
刃長 八尺一寸二分(約2.46m)
重さ 十七貫(約63.75kg)
銘
謹報献上妻万大明神君新之作大刀一振 始宝徳二年庚午三月二十三日
至丁卯月十七日二十五日間作業 奉納御宝殿了
大願主日州児湯郡鹿野田住人日下部成家 備前則次外五人
(宝徳2年(1450)の3月23日に鍛え始め、4月17日に完成。25日間の鍛刀期間を要した。
願主は日州児湯郡鹿野田の住人日下部成家であり、備前則次ら刀工5名が鍛刀)
-名刀幻想辞典より


延喜式内社日向二之宮 都萬神社 本殿
一、御祭神 木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)天照皇大神の御孫瓊々杵命妃
一、鎮座地 宮崎県西都市大字妻一番地
一、主な祭日
歳旦祭 1月1日 大祓 6月30日、12月31日
更衣祭 7月7日
例大祭 11月19日 鎮火祭 旧11月2日
除夜祭 12月31日
一、社殿
本殿 流造丹塗1棟12坪桃山様式(西都市文化財指定)
拝殿 入母屋造12坪(昭和43年御造営)
一、境内 4373坪
ハナガガシ・クスノキ・タブ・イチイガシ・アラカシなどの常緑広葉樹(照葉樹)が繁茂して、「鎮守の杜」を形成しており、国指定の天然記念物「妻のクス」は、過去の台風の災害や火災に耐え、推定樹齢1200年を生き続けている。
また、ソメイヨシノやヤマサクラなどが植栽され、春の参道を華やかに彩る。
一、由緒沿革
御創建の年代は定かではないが、当神社が初めて史書にみえるのは、「続日本後紀」で、仁明天皇承和4年(837年)8月の条に「日向国子湯郡妻神、官社に預かる」とあり、また、「三代実録」の天安2年(858年)の条にも神階昇格の記載がある。
更に延喜式神名帳には、日向国四座の内、児湯郡二座として、都農神社とともに都萬神社が記載されており、式内社といわれる所以である。
当神社はこれらの文献にみえるより更に古く、奈良時代には存在していたと思われる。
建久年間(1190年代初頭)伊東氏日向を領するや供田を献じて奉賽に務め、慶長8年(1603年)島津以久公佐土原に封せられ、4代藩主忠高は妻村内315石を社領として安堵するなど、伊東氏に引き続き島津氏も都萬神社に対する尊崇の誠が示されており、往年の盛儀が偲ばれる。
その後、明治6年県社に列せられ、明治40年には神饌幣帛料供進指定を受けるなど古来からの尊崇は明治維新以後も衰えることはなかった。
一、特殊神事
毎年7月7日に斎行される更衣祭(七夕祭)。前日の6日、奉仕する神職等が高鍋町堀之内海岸に浜下りし御禊の後神事を行う。翌7日更衣祭当日、御神像に白衣の御衣装を着付け、御頭に真綿の御被衣(おかつき)を飾り付け、紅、白粉で化粧が施され、祭が斎行される。
この日、氏子・崇敬者から白衣が奉納されるが、その多少によってその年の天候が占われる。
一、都萬神社の大太刀
社伝によれば、上古第12代景行天皇熊襲御親征のため、都於郡高屋行宮に駐まらせ給うた時、御太刀を奉献、賊徒平定を御祈願されたと伝え、現在その太刀は社殿に宝蔵されている。
-案内板より
つづく
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