近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
RWC初戦の南アフリカ戦勝利で、日本国内のみならず世界中を湧かせた
ラグビー日本代表が参拝した宮崎県日向市の大御神社に着ております。

大御神社・御祭神 皇祖・(日本人の氏神様)天照大御神に拝礼し、
境内を散策すると、

日本最大級のさざれ石群(神座)
癒しの霊気(エネルギー)吹き出す神座
造成の折、竹藪を切り開いて進むと先ず忽然と現れたのがこの巨石(神座)だった。周囲30m・高さ4mと大きい。大御神社いわれの中に、天孫降臨として知られる天照大御神の子孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が当地を遊幸されたとき、大きな岩に立たれ絶景の大海原を眺望されたと記してあった。
私は30年余り、いつも心に留めつつ周囲の岩を眺めては探していた。神さまが立たれた岩だから格別の岩であると筈と考えていた。
そこにこの巨石(さざれ石)の出現である。見た途端すぐにこの巌だと確信した。そしてその巌に神座(カミクラ)と命名し注連縄を張り廻らした。 -大御神社公式Webより


大御神社周辺の「さざれ石」 学名 庵川礫岩
この巨石(神座・かみくら)は、国歌「君が代」に詠われている
「さざれ石の巌」です。
今から約二千年前、日本列島がユーラシア大陸の縁にあったとき、
このあたりは広範囲にわたり浅い海岸平野でした。
そして大きな川があり、河口付近には大量の「細石・さざれいし」がたまって、
粘土・砂などと混じり長い年月の間に固まり、巨石「さざれ石の巌」となりました。
「君が代」
君が代は 千代に八千代に
さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
注・この付近の石を持ち帰る事は固く禁じられております。
大御神社 -案内板より
五千年の時空を経て今甦る龍神伝説 (右)
龍神の霊(玉)
この水窪周辺は今から五千年前(縄文時代)の人が龍神信仰をしていた古代遺跡です。
古代の人々は、岩を渦状に刻み龍を表し底には生命の源である龍玉を納め、それを守るように山水を注ぎました。
当時の人々は龍玉を抱え守る龍神の姿に日々の安寧と守護を祈り、後々の世までも続く幸福を願ったのでしょう。
また皇孫瓊瓊杵尊がご降臨されたおり「神座」にて絶景の大海原を眺められたと伝えていますが、この岩上も古代祭場であることが判明しました。
大御神社 -案内板より

穴の直径約3m、深さ約1.5m 最大径約1mの卵形の石。

波に洗われ自然に(神のチカラで)出来たモノをお祀りしたか、
案内板にあるように人工的に作ったモノなのかは、分かりませんが、
「神座」を守っているような、近寄りがたい気がしました。

神座の前より日向灘を眺める

大御神社境内を出て、「鵜戸神社」に向かいます。


三代の亀石(親.子.孫)
今から約1500万年前のこと。神社の沖にある海底火山の活動によりこの海岸一帯は多量の火砕流が押し寄せ堆積しました。そして長い年月をかけて固まったのが柱状節理(溶結凝灰岩)です。長寿を象徴とするめでたい亀。悠久の時を経て大自然がもたらすこの3匹の亀岩の見事な芸術をご覧ください。
大御神社 -案内板より



ポツポツと降っていた雨が上がったようです。
つづく
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