~西へ~(241) 33日目⑦ 高千穂神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

  
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


天岩戸神社から次なる目的地へ向かう為に、高千穂の中心街へ。


 高千穂の棚田

     

目的地の駐車場に旅の友・エブリイを停めると、お日様が顔を出しました。

   

高千穂神社に参拝します。
    
  高千穂宮御由緒
当宮は初め高智保皇神と申し上げて、この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊、木花開耶姫以下三代の神々をお祀りし、千百余年前の仁明・清和両朝には日向国最高の御神階が授けられたことが六国史に記されております。
 神武天皇の皇兄三毛入野命が御東征の途次高千穂に帰られて日向御三代をおまつりされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれ、古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきました。
 源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年を経た今も社頭高くそびえています。
 文永、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願等、古記録や宝物も多数残っています。
 天正年間三田井氏が滅んで延岡領となりましたが、歴代藩主はそれぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
 大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和四十六年七月一日別表神社に列せられました。
 天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮は、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。
 例祭日 四月十六日
 猪懸祭 旧暦十二月三日  -案内板より


      
                 参道・石段横の狛犬

     

少し変わった狛犬だったので、よく見てしまいました。




高千穂神社の神楽殿では、毎晩8:00から9:00まで夜神楽が奉納されています。
 夜神楽は33番までありますが、そのうち4番が奉納されています。
 手力雄の舞(たぢからおのまい)は、天照大御神がお隠れになった天岩戸を手力雄命(たぢからおのみこと)が探し当てるところをあらわした舞です。
 手力男命が鈴と紅白の岩戸幣を持ち舞います。手力雄命が天の岩戸を捜し出すため静かに音を聞いたり考えたりする様子を表現しています。静と動の折り合いが見所です。
 鈿女の舞(うずめのまい)は、見つけ出した天岩戸の前で、天照大御神を岩屋から誘い出そうと、天鈿女が面白おかしく舞います。
 戸取の舞(ととりのまい)は、手力雄命が岩戸を取り除き天照大御神を迎え出す勇壮な舞です。
 御神体の舞(ごしんたいのまい)は、「国産みの舞」とも呼ばれます。伊邪那岐命・伊邪那美命の二神が酒を造って二人で濁酒をこしていますが、浮気心を出した伊邪那岐命は神楽見物の若い女性のところへ飛び込んできて見物客も盛り上がります。
 その後、伊邪那岐命に連れ戻され再び酒をこす作業がはじまり、やがてできたお酒を太鼓の調子に合わせて仲良く飲み、抱擁するという舞です。ちょっとエロティックな面があり、見物客が一番盛り上がる舞でもあります。
 高千穂の夜神楽4番公開 於いて高千穂神社・神楽殿 -夜神楽のポスターより


        





                              つづく








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