~西へ~(233)32日目⑪ 肥後国一宮 阿蘇神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

  
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


阿蘇の街中に入り、全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社である、
肥後国一宮 阿蘇神社に参拝します。

     
    南の鳥居               社号標

     
                      阿蘇神社境内図(立入禁止区域)



写真等で、地震の被害は見ていましたが、実際に目にすると心痛いです。



国の重要文化財・楼門(三間一戸二階二重門、二層楼山門式、高さ21m)も
見るも無残な姿に。


 謹んで賛助いたしました。

     

阿蘇神社は、珍しい南北を貫く参道・横参道で、南から
還御門、楼門、御幸門(全て国の重要文化財)が並んでいた。


 仮 拝殿(仮 祝詞殿)



正面から左に回り込むように進むと、仮の拝殿(祝詞殿)、その先、
拝殿が見える所に賽銭箱が置かれておりました。


 倒壊した拝殿



ご祭神は、阿蘇十二明神と総称される、
 一の神殿(男神)
一宮:健磐龍命 - 初代神武天皇の御孫
三宮:國龍神 - 二宮の御父で、神武天皇の御子
五宮:彦御子神 - 一宮の御孫
七宮:新彦神 - 三宮の御子
九宮:若彦神 - 七宮の御子
 二の神殿(女神)
二宮:阿蘇都比咩命 - 一宮の皇妃
四宮:比咩御子神 - 三宮の皇妃
六宮:若比咩神 - 五宮の皇妃
八宮:新比咩神 - 七宮の御娘
十宮:彌比咩神 - 七宮の皇妃
 諸神殿(男神)
十一宮:國造速瓶玉神 - 一宮の御子。阿蘇国造の祖
十二宮:金凝神 - 一宮の御叔父。第2代綏靖天皇を指す

全国式内社祭神 3132座



よく見ると狛犬たちは立っておりました。

     

 概史
孝霊天皇(第7代)9年6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝える。阿蘇神社大宮司を世襲しこの地方の一大勢力となっていた阿蘇氏は、速瓶玉命の子孫と称している。
国史では、「健磐竜命神」および「阿蘇比咩神」に対する神階奉叙の記事が見え、健磐竜命神は天安3年(859年)に正二位勲五等、阿蘇比咩神は貞観17年(875年)に従三位までそれぞれ昇叙された。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では肥後国阿蘇郡に「健磐龍命神社 名神大」および「阿蘇比咩神社」と記載され、健磐龍命神は名神大社に、阿蘇比咩神は式内小社に列している。
中世以降は肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、豊臣秀吉の九州征伐の際に社領を没収された。その後、改めて天正15年に300町の社地が寄進され、さらに、領主となった加藤清正、熊本藩主として入国した細川氏によって社領の寄進、社殿の造修が行われた。
1871年(明治4年)、近代社格制度において国幣中社に列し、1890年(明治23年)に官幣中社、1914年(大正3年)に官幣大社に昇格した。
2016年(平成28年)4月16日に発生した平成28年熊本地震により、楼門と拝殿が全壊、境内の3箇所の神殿も損壊した。2022年をめどに再建が完了する予定。
-wikipediaより


     
  還御門
嘉永元年(1849年)造営
還御門(おかえりごもん)は、例祭(7/28)の日四基の御神輿その他供奉(おとも)の行列、三百余人が到着の時使用される。したがって年に一日だけ使用の珍しい御門であり、これは皇居の制にならったと伝えられる。 -案内板より



 
 お見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。


         
          肥後国一之宮 阿蘇神社
              御朱印



                              つづく








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