近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
「祖国 日本を巡る旅 近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~」も31日目。
朝起きると霧の中。昨晩は寒くて、この旅、初の寝袋使用でした。

本日最初に訪れたのは「豊後国一宮 柞原八幡宮(ゆすはら)」です。


豊後一之宮 (国指定、重要文化財) ↑日本人はどうなってしまったのか。情けない。
柞原八幡宮 由緒略記
御祭神
仲哀天皇(帯中日子命)
応神天皇(誉田別命)
神功皇后(息長帯比女命)
主な祭典
例大祭(三月十五日)
夏越祭(七月三十一日)
浜之市(九月十四~二十日)
当宮は、平安時代の天長四年(八二七)に宇佐神宮より御分霊を勧請し、承和三年(八三六)国司により、社殿を造営。爾来、皇室も厚く尊祟せられた。
嘉承(一一〇八)には、勅使の参向があり、敷地の四至を定め税を免ぜられた。仁平三年(一一五三)には、鳥羽法皇が六十歳の御賀に御祈願を修せられ、神領を定められた。
元暦元年(一一八四)には、源範頼が平氏の追討を祈願したのをはじめ、源頼朝、領主(大友、竹中、日根野)、武家の崇敬も非常に厚く、近世には、社家二百余、坊舎三十を数えた。御本殿は、安政年間に再建された壮麗な八幡造り。参道途中に建つ南大門は、「日暮門(ひぐらしもん)」と称し、壁面には二十四孝等の彫刻が施され、門の横には樹齢三千年の天然記念物の大楠が聳えている。
宝物館には、太刀、甲冑、金銅仏等重文六点他を所蔵。
-案内板より


巨木が茂る中の石段を上がります。

朱の鳥居の額束には、神紋「二重菊」の額が掲げられていました。


柞原八幡宮のクス 国指定天然記念物幹周 18.5m 樹高 34m

日暮門(南大門)明治三年(1870)建立 (附 棟札)国指定重要文化財


柱間に二十四孝、日本武尊などを表した装飾彫刻があり見応えがあります。


入母屋造の四脚門で、前後に唐破風造の突出部を設け、

左右に切妻造の脇門を設けたものであります。


つづく
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