~西へ~(191)28日目② 紫電改展示館Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


宿毛市街から西へ20数キロ、愛媛県南宇和郡の馬瀬山山頂公園にきました。

          

この公園内にある「紫電改保存館」には、零戦に変わる新型戦闘機として
生産された「紫電二一型(紫電改)」が、国内で唯一、保存展示されています。

  
  紫電改の碑
 碑文
この旧海軍戦闘機紫電改は太平洋戦争において昭和二十年七月交戦ののち久良湾海底四十一メートルのところに眠っていた
昭和五十四年七月十四日愛媛県がこれを引き揚げここに永久保存する
          昭和五十五年五月吉日


 

入口を入ると、目の前にド~ン!



感動の瞬間です。



この紫電改は、南宇和郡城辺町久良、長崎鼻約200mの海底41mのところに眠っていたが、昭和53年11月城辺マリンクラブ会員によって確認された。愛媛県は機体を引き揚げ、慰霊の誠を捧げ、恒久平和を祈念することとした。紫電改は、当時最も優れた局地戦闘機紫電21型機で、その全容は、
  全長 9.34m
  主翼 11.99m
  高さ 3.9m
  装備重量 4.8トン
  時速 620km
  エンジン 2000馬力
  20mm機銃 4門
を備え、独特の自動空戦フラップを駆使できる海軍交通の掉尾を飾る優秀な戦闘機であった。この紫電改は、旧第343海軍航空隊に配属され、昭和20年7月豊後水道上空で光線したなかの1機であると言われている。県から委託を受けた藤田海事工業株式会社は、地元漁業関係者等の協力を得て、昭和54年7月14日引き揚げた。機体は全面フジツボに覆われ、破損箇所も見受けられたが、原形をとどめていた。県は、紫電改の政策に当たった旧川西航空機株式会社、現新明和工業株式会社航空機製作所に委託し、一部補修、防錆塗装を行った。終焉の地、久良湾が望見できるここ南予レクリエーション第3号都市公園内に、永久保存する。
-案内板より


     

プロペラ下には、昭和20年7月24日、豊後水道上空での米軍機との交戦に
より、未帰還となった将兵の慰霊碑と写真がございました。

未帰還6機の搭乗員、並びに全ての兵者に敬意を表しますと共に、
英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。



機体側に曲がったプロペラが着水時の衝撃と
エンジン推力の停止を物語っております。

 
中島製の誉21型エンジン(1825馬力)搭載


 九九式一号機銃×4丁の武装



零戦とあまり変わらない全長 全幅ですが、胴体は太めで大きく見えます。



尾翼の下には、ゴム被覆で防弾処理が施されていた胴体部燃料タンク。
このタンクには自動消化装置もついていたという。

      

ラダーもフラップと同様に腐食し骨組みが残るのみです。


 操縦席前方の射爆照準器


 主翼先端には速度を計測するためのピトー管


 30年以上も海中に眠っていたので胴体部もペコペコに




テラスがあり、上からも見ることが出来そうなので、上がってみます。





                              つづく







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