~西へ~(137)18日目② 阿波国一宮 一宮神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


阿波國一宮(称)上一宮大粟神社の次に訪れたのは、
徳島市一の宮町に鎮座します「一宮神社」 です。



こちらの神社も阿波國一宮を称しております。



本来は社殿正面より真っ直ぐ参道が続いていたようだが、現在は、
大通りから入り、右に折れる形で社殿正面に出る。



元々は、先程訪れた「上一宮大粟神社(名西郡神山町)」が、阿波国一宮
であったが、不便であるため平安時代後期に国府の近くに分祠が作られ、
こちら(一の宮町・一宮神社)が一宮となったとも伝えられてます。

       

境内の案内板には、

  一宮神社略記
一、大宜都比売命 御別名 天石門別八倉比売命を奉祀する 衣食 農業 商業 開運の神で 又縁結び 安産の守護神と信仰する人が多い。
一、延喜式内大社天石門別八倉比売神社に充てられる古社で一宮大明神と奉称せられ 阿波国一宮 八倉比売命を祀るから明治維新まで8月8日が御祭礼日
神仏分離まで四国巡拝の霊場であった。
一、小笠原氏は 一宮城を構え 大宮司に任じ 蜂須賀侯も社殿を造営し 御初穂 御神馬を奉献 篤く崇敬した 氏子の尊崇は今に変らない。
一、一宮町の地名 一宮城の称等は 一宮大明神が千年の昔から此所に御鎮座ましますに由来すると思う。
一、例祭 十月十八日 春祭 四月二日 新嘗祭 十二月十八日


と、ありました。

      
      均整の取れた狛犬の前足には「鈴」が付けてありました。


  対の灯篭、神馬、狛犬と賑やかな拝殿前

        
            長く太い首と立派な尻尾の狛犬


 神紋(上一宮大粟神社の下社だから稲の中に粟の字かな)が入った神馬

     
 重要文化財建造物
一宮神社本殿(附棟札9枚)  平成5年4月20日国指定
この本殿は,身舎の正面柱間が三間で、屋根が後方に短く前方に長く曲線形に流れる『三間社流造』である。棟前方に干鳥破風を飾り、さらに先端の中央一間分に軒唐破風を設け、木階前方の庇柱まで浜床を張り出す。また各所に上品な彫刻が埋められ、全体に彩色を施しながらも過度の装飾には陥らずに、華やかな本殿に仕上げている。向拝の木鼻や身舎妻飾りの大瓶束下部には蓮華が。繋海老虹梁や向拝頭貫虹梁の底面には錫杖が彫られるなど。神仏混淆の様相を表している。
棟札と正面千鳥破風板の墨書から、寛永七年(1630)の建築であることが判明している。同じ三間社流造で重要文化財である鳴門市大麻町の宇志比古神社本殿〔桃山時代・慶長4年(1599)〕とともに、徳島県の近世初期を代表する装飾的な大型本殿建築である。
徳島県教育委員会徳島市教育委員会  -案内板より



 本殿(重要文化財)


 境内


神職は畑仕事中でしたが、中断して御朱印を書いてくれました。
ありがとうございました。


        
         阿波国一宮 一宮神社
           御朱印



                             つづく







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