~西へ~(136)18日目① 阿波国一宮 上一宮大粟神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





18日目、朝起きると車中泊の車が並んでいました。

    

本日最初の目的地は、車で2分の阿波國一宮 上一宮大粟神社です。

  
     大鳥居の先には、頭部が小さく尻尾が大きい狛犬(獅子)

 

鳥居、神門をくぐり、小雨の中、参道を進みます。

     

参道の坂を上りきる頃には、雨も殆ど止みました。


振り返ると随神門が見えます。


 


 拝殿

 
  
 御縁起
鎮座地 名西郡神山町神領字西上角三三〇
御祭神 大宜都比売命(おおげつひめのみこと)
   又の御名 大粟比売命 天石門別八倉比売命
御例祭 歳旦祭(一月一日) 例大祭(一月十日)
    祈年祭(四月十一日) 新嘗祭(十二月十一日)
一、古事記によると大宜都比売命は粟国(阿波)を開かれた祖神で五穀養蚕の神として古代から農耕を守り生命の糧を恵み続けられています
一、神亀五年(七二八)聖武天皇御勅願所となり 元暦二年(一一八五)御祭神に 位階正一位を給い 以来正一宮大明神として広く崇敬されてきました
一、旧事記によると当社の古代祭官は応神天皇の御代に千波足尼が国造を拝命し以後三十四世にわたって祭事を司りましたが時の祭官一宮宗成に代って歴応四年(一三四一)阿波守護の小笠原長宗が祭官となり後に一宮 大宮司となり その子成宗の代に一宮町に当社の分霊を勧請して一宮神社を創建しました 蜂須賀家政は当社に二度も参拝し 代々の藩主も深く尊崇していました
一、今に残る江戸時代の十四枚の棟札(最古寛文十三年)からも社名が 一宮明神 田ノ口大明神 大粟上一宮大明神 上一宮大明神などと 変った事がわかります 明治三年(一八七〇)埴生女屋神社と改められたが 明治二十八年(一八九五)氏子の請願によって現在の上一宮大粟神社に確定されました
撰 宮司    阿部千二
         氏子会  大粟山保勝会
  邪馬台国と大宜都比売命
全国的に話題を呼んでいる邪馬台国阿波説の論拠として 日本 最古の書 古事記と魏志倭人伝の記述が一致する根元に 阿波は食物 五穀を司る穀霊(おおげつひめ)の国であり 高天原(神話)の物語は すべて阿波(おおげつひめ)が舞台となっている 古代国家にとって最も 重要な食物を司る穀霊が阿波の別名であるところにその論拠があり 近年古代研究者が注目し その調査研究に訪れる所以であります
    昭和五十九年九月吉日
      発起   古代神山研究会
      協賛 神山町 神山町観光協会 大宜都会 -案内板より


 
 拝殿ない

 
 
外側は彫物、内部は天井絵で飾られている見事な拝殿でした。


朱色に塗られた本殿


 

参拝時、氏子総代という方がいらして、色々な話を聞く事ができました。
どうもありがとうございました。







                             つづく







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