~西へ~(118)14日目① 兵庫県神戸護国神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





夜半から降った雨があがらないまま朝を迎えた14日目です。

      

しかし、本日最初の地「兵庫縣神戸護國神社」に近づくと雨はあがりました。

      

風が出てきて、日の丸が旗めいています。


 
御祭神
 53,257柱(兵庫縣東部 丹波・摂津・淡路(十三市一郡)ゆかりの英霊

御由緒
 戦歿者の慰霊祭祀は、当初神戸市兵庫区会下山に招魂斎庭、祭壇を設け、毎年官民合同で斎行されていた。
やがて、英霊の勲功を顕彰する為には社殿を建立し、永久に御奉斎すべしとする県民各層の熱意で、関西学院跡地約三千坪に素木流造の社殿・諸社殿が建立された。
昭和十六年六月には内務省指定の「護國神社」に列せられたが、昭和二十年六月五日 神戸大空襲の為、荘厳な社殿及び境内の建物は壊滅的な被害を受けた。
戦後社号を「兵庫御霊神社」と改称せざるを得ないなど危機的状況にあったが、昭和二十五年に兵庫縣神戸護國神社奉賛会が設立され、社殿の復興事業を進めた。
昭和二十七年には社号も「兵庫縣神戸護國神社」と復称、昭和三十二年一月に社務所が落成、昭和三十四年十一月に新社殿も復興し、その後も境内整備・本殿改修が進められた
平成七年の阪神大震災では社務所半壊などの大被害があったが遺族崇敬者の熱誠により、平成八年十一月には阪神淡路大震災被害修復竣工奉告祭が執行された。
境内には、華と散られた英霊をお慰めする為に植樹された桜が凛として美しさを匂わせている。  -参拝の栞より



 拝殿ない



拝殿の横に建つ境内社にも拝礼します。


 末廣稲荷社

     
 雄魂 第十四飛行団司令部、          陸軍少年飛行兵顕彰碑
飛行第六十八、第七十戦隊慰霊碑

              
                歩兵第百七十連隊慰霊碑

     
 響 第五三三三部隊        大戦殉難 北方異民族慰霊之碑
   戦没者慰霊塔


全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。


         
          兵庫県神戸護国神社
             御朱印





御朱印を頂き、次なる地へ向かおうとすると青空が見えてきました。



                             つづく







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