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本日、8社目の「壺井八幡宮」に到着です。


清泉「壷井」
平安時代前9年の役(1051~1063)のとき、源頼義の軍が飲料水に苦しんだ折、
弓の先で崖を突き崩して得た冷泉により将士の意気があがったといわれる。
平定完了して凱旋する際、冷泉の水を壺に入れて持ち帰り、
本拠地の香炉峰の南麓に井戸を掘り、そこに冷泉の水を底に入れ
苦戦の記念としたもので、これが「壷井」の地名の起源となった。 -案内板より


壺井八幡宮 府史跡
このあたりは壷井の香炉峯(こうろほう)といわれ、河内源氏発祥の地として知られており、平安時代の中期の寛仁四年(1020)、源頼信が河内守に任官してこの地に私邸を営み、康平七年(1064)に前九年の役を平定した頼義(頼信の子)が石清水の神を私邸の東側に勧請したのが本宮の起源である。
また左側にある壺井権現社は、源義時(義家の五男)が河内源氏の祖神として天仁二年(1109)に創祀したものである。
現社殿は、両者とも元禄十四年(1701)に徳川綱吉の命で柳沢吉保が再建したものである。 -案内板より


源野義家公の後裔が寄進した石段を上ると正面に
「壺井八幡宮」が鎮座しております。

系譜について簡単に記しておきます。
清和源氏は、源氏二十一流の一つで、
「清和天皇」から分かれた氏族であります。
清和源氏の武士団を最初に形成した
源満仲-長兄・源頼光(摂津源氏の祖)
-次兄・源頼親(大和源氏の祖)
-三男・源頼信(河内源氏の祖)-源頼義-源義家*
源(八幡太郎)義家* -源義忠-源為義-源義朝-三男・源頼朝
-九男・源義経

石清水八幡宮を勧請し壺井八幡宮創建した源頼義は、河内源氏の東国
進出の拠点として、鎌倉にも石清水八幡宮を勧請しました。(鶴岡若宮。
後の鶴岡八幡宮。)
頼義の5世孫である源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、河内源氏の総氏神は
壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移り、壺井八幡宮は、河内源氏の祖廟にして
当地に土着した河内源氏・石川源氏の氏神となりました。

では、西側に鎮座します、摂社・壺井権現社(壺井神社)を拝します。

樹齢1,000年と伝わる天然記念物の楠
つづく
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