旨いラーメンで満足。続いては、横浜市泉区にある「神明社」です。
保土ヶ谷区の神明社の由緒書きにあった「川井」の地はここでしょうか。


由緒
新橋の神明社は、県道瀬谷・柏尾線の観音寺の前で新神明橋を渡った先の左側奥にある。むかし神明谷戸(しんめいやと)といわれたこの地域の鎮守さまで、祭神は国常立神(くにとこだちのかみ)、天照大神の二柱をお祀りする。嘉元(かげん)年間(一三〇三~六)の創建で、初めは国常立神一柱をお祀りしていたが、正和年間(一三一二~一五)に天照大神を合祀した。江戸後期の文政から万延にかけて社殿や境内の整備が行われたとの伝承がある。嘉永六年(一八五四)の本殿建替え時の棟札や、大正三年(一九一四)に屋根を茅葺きから亜鉛鍍(あえんめっき)鉄板に葺替えた時の記録が保存されている。 -泉区公式Webより

新橋神明社狛犬と社殿
横浜市内の旧武蔵国橘樹郡と相模国鎌倉郡には神明社が多くあります。
おそらく40社近くはあると思います。これは、一帯を支配していた
榛谷重朝をはじめとする畠山一族が所領安堵の為、伊勢神宮へ所領を
寄進して伊勢神宮を勧請した為と言われています。

横浜市港南区下永谷に鎮座します「神明社」に着ました。

ご祭神は、
天照皇大御神 の他七柱
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
應神人天皇(おうじんてんのう)
日讀命(ひよみのみこと)
月讀命(つきよみのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
菅相公(かんしょうこう) で、ございます。


由緒
永禄元年正月(皇紀二二一八・西暦一五五八)住民が合議し、天照皇大御神を守護神と崇め、村の中心に当たる当地にお祀りしたもので、 新編相模風土記には、「神明宮、永谷村の鎮守とす。祭礼十一月十六日村持」とある。 村持とは村民の代表が経営することを示している。
文化十一年十二月(皇紀二四七四・西暦一八一四)社殿を改築。国家神道時代には、宮司が任命され、永野村の村社であり、明治四十一年十一月三日(皇紀二五六八・西暦一九〇八)には村内の小字に散在する お宮(長町の八幡社・厳島社、芹が谷の白山社・天神社、八木の白旗社・日月社)を合祀した。
大東亜戦争後は国家管理の手を離れ、昭和二十四年公布の宗教法人に依り昭和二十八年八月二十日附、神社規則の 知事認証を受け、宗教法人と成って今日に至る。 -公式Webより

神職不在で御朱印は頂けませんでした。
が、朝の「与一公」から始まり、天照大御神をお祀りする
「神明社」への参拝。大いに良き日を過ごせました。感謝。
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