~北へ~(450)81日目⑤ 山梨岡神社Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


甲斐源氏の棟梁である武田氏ゆかりの神社「山梨岡神社」にきております。


 神楽殿

 山梨岡神社太々神楽
昭和42年8月7日指定
社伝によると別名を「武田信玄出陣の神楽」とも、言い、出陣に際し勝利を祈願して奉納した神楽であるという。
24種の舞があるが、いずれも天の岩戸の故事を中心とした古事記神話の世界を表現した、いわゆる出雲神楽の系統に属するものである。
春の例大祭に昼夜二日間にわたって執行されるが、24種の舞の順序は古来変ることがなく、「四方舞」に始まり、正午に「天の岩戸」が開かれ、最後に祭神の「大山祇命の舞」で舞い納めることになっている。
このうち20番目にあたる「四剣の舞」は「久米舞」ともいわれ美しく着飾った四人が剣を片手に舞うもので、その由来は、神武天皇が大和の字陀で勝利の宴をはったさい、久米氏の兵士たちが天皇の詩歌を歌いながら舞ったのに由来するとされ、その前段はゆるやかに雅やかに、後段では剣を振るって勇壮に舞うもので、誠に格調高く見事な舞である。
  平成3年3月30日   笛吹市教育委員会  -案内板より
 


 拝殿・元禄十五年(1702)建立
(桁行5間梁間4間の入母屋造平入。屋根は桟瓦葺(当初は茅葺))

        

       


 拝殿ない


 
国指定重要文化財
 山梨岡神社本殿
明治40年8月28日指定
旧本殿は飛騨の工あるいは武田の番匠の造営と伝えられた。
現在の建物は昭和2年、台湾阿里山(ありさん)の桧材で全面改築を行ったもので、棟札二枚とともに室町時代の様式を残した建造物として明治40年、国の重要文化財に指定された。
桁行二間、梁間一間、隅木入春日造、こけら葺。
正面出合は両開き板唐戸で、ほかは板壁である。花狭の間の透彫は美しい。身舎の正面と側面には、はね高欄をつけた緑をめぐらし、脇障子をつける。扉正面には擬宝珠柱をたてた昇高欄つきの階段七級を設けてある。
軒は二軒繁垂木で正面に隅木をいれた入母屋造り、背面は切妻造りで軽快なこけら葺である。正面の妻飾りは狐格子で破風にはかぶら懸魚(げぎよ)、背面妻飾りは虹梁大瓶束式で棟木を支え、破風には同じくかぶら懸魚がある。正面につく向拝は面取り角柱で、通肘木つき連三斗の組物で支えられ、身舎柱と向拝柱はつなぎ虹梁で結ばれている。向拝柱の頭貫(ぬき)先は木鼻が作られ頭貫上には透彫をいれた蟇股(かえるまた)がある。
向拝前面には浜床(はまゆか)が設けてある。
春日造りとしては手のこんだ珍らしい構造であり、長く保存したい。
平成3年3月30日  笛吹市教育委員会  -案内板より
 


 郡石(郡境の標示石)

 


無人社で御朱印は頂けませんでした。




                              つづく







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