北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
全国総社会加入の直江八幡宮からもう一つの総社に。
(正確には総社を合祀した)


由緒
府中八幡宮略記
祭神
誉多別尊(応神天皇) 相殿祭神 沼河姫命 建御名方命
昔は阿比多館といって高志総社で、今の位置は越後国府の正北の丘になるのであります。
鎌倉時代に鶴岡宇佐八幡神を移し迎え、沼河姫命と建御名方命の二神を合わせ祀って、府中石清水八幡宮と称し、一国一社の八幡宮であります。
上杉氏の敬仰が特に厚く、謙信公は直筆の神額並びに下馬札制札などを奉納されました。
江戸幕府になってからも崇信の念がますます高く、慶長16年9月に社領百石と定め、将軍墨附や閣老連名の添書を交附して神馬一頭の寄進をされています。歴代の高田城主の帰依も一段と深く、社殿を造営されたり土地を寄進されたりしております。
明治戊辰の年に、北陸奥羽を鎮撫された際に勅使を以て幤帛を供進されております。貞観12年(793年)に石清水八幡宮分霊をお迎えして越後八幡と称してから、国分寺と共に由緒深い神社として広く世人に知られてきたのであります。
-全国神社祭祀祭礼総合調査より


越後総社府中八幡宮と市民憩いの場八幡宮公園 (左)
この南参道を進んでください。
正面に見える神社が、古い歴史を持ち、由緒ある府中八幡宮社殿です。広い境内を有し、過去には堀がめぐらされ、多くの松が生えていました。かつて、越後府中のまちの真北に位置し、現在より大きな面積を占めていました。
境内の約半分は、市の「八幡宮公園」として整備され、市と町内会で共同管理を行っています。まちなかの水と緑豊かな公園として、市民のいこいの場、学習の場、交流の場として愛されています。-案内板より
府中八幡宮と文化財 (右)
府中八幡宮は、社伝によれば
「養老4(720)年に宇佐八幡宮を勧請(神の分霊を迎えること)し、その後、貞観12(870)年に石清水八幡宮を勧請して、越後府中八幡宮と称した」とあります。
代々の越後守護や守護代は、武人の守護神とされる八幡宮を崇拝し、保護しました。ことに、上杉謙信の父長尾為景は、春日山城の鬼門守護の霊社として、社領五百石を寄進したのをはじめ、徳川の歴代将軍も、社領百石を寄進し、朱印状を出しています。その後、社殿は、御館の乱(1579)で焼失しました。現在の社殿は、寛永11(1634)年に高田城主の松平光長が復興したものです。
その後、何回もの修復を重ね、現在に至っています。主な文化財は、上越市立総合博物館に寄託しています。-案内板より



拝殿


拝殿の社号額と拝殿前の風化した狛犬

越後府中八幡宮の鰐口 説明板



本殿と幣殿

越後総社 府中八幡宮
諏訪社 御朱印
つづく
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