~北へ~(96)11日目③ 那須神社Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら



古くから金丸八幡宮として武家の崇敬を集めた古社である
那須神社に参拝しております。



 
 石燈籠 一対
有形文化財(建造物)
昭和48年12月18日 指定
那須神社拝殿前に配置されている石燈籠は、寛永19年(1642)3月、黒羽城主大関土佐守高増が祈願成就処として奉納したmおのである。
石質は芦野石と思われ、基礎から宝珠までの全高は約2.9メートル。
基礎・中台・火袋・笠・請花は共に六角形で、笠の蕨手は大きく渦巻き模様であり、竿は円筒形で直径約45センチメートル、中間に節がある。
この部分に大関土佐守高増奉納の銘文が刻されている。-説明板より


           

 
  拝殿内

 
本殿(正面の画像は撮れなかったので資料から転写)
(三間社流造 銅板瓦葺)
現在の社殿は天正5年(1577)の建造と称され、その後寛永18年(1641)に大修繕が行われた。
本殿の基壇は土台の下に縁下布石を廻らし、向拝には浜縁をつけている。
向柱は和様の三斗組で丸桁をうけ、身舎正面は三間共幣軸立ての板唐戸である。
内部は内、外陣に分かれ間仕切は板唐戸である。
屋根は元茅葺か杮葺であったが現在は銅板瓦棒葺である。
本殿は総体に彩色が施され、向拝柱には金襴巻の跡が残っており、長押、頭貫、斗郷栱、身舎丸柱に至るまで各種の彩色が施され、特に、丸柱には牡丹唐草で彩色し、幣軸に金箔押し、鴨居、方立、下長押しは黒漆塗、板唐戸は春慶塗の上に彩色が施されている。
寛永大修理銘銅板には、施主、大関土佐守丹氏高増 千時寛永18年辛巳 孟夏吉祥辰日欽日 奉行、大沼助左右門貞清 小滝喜右衛門 真坂与五右衛 大工、高宮次右衛門 同市兵衛 鍛冶、且右衛門包秀と記されている。-説明板より



境内社
 

     

         

旧日本軍の金丸演習場と飛行場が隣接してあり、軍神である八幡神をお祀りしている関係からか、軍馬の供養塔が参道沿いに建てられておりました。

  
 



       
          那須神社 御朱印


               



                              つづく