繁華街で駐車場探すのが面倒なので、朝通った道の
行ったことのないチェーン店の「うどん屋」へ

車を停めるとラーメン屋が。しかも中々流行っていそうです。
もちろん「うどん」は中止。ラーメン屋にIN

のじじ(宇都宮中心部からICの方へ車で10分位)
冷めにくいが食べ難い丼ぶりで提供されたラーメン。
魚(煮干し)+動物のWスープは、煮干しのえぐみもなく旨い。(無化調かも)
表面を覆う油もラードの旨みと煮干しの香りで良い仕事してます。
硬めにあがった中細直麺は中々のレベル。
賽の目に切られたメンマに少々厚みのあるホロホロチャーシュー、
荒みじんの玉ねぎは、もはや薬味というよりトッピングの一種になってます。
白身のとても柔らかな味玉は初めての食感でした。
宇都宮に来ることがあれば再来店したい店だな。

煮干し中華そばNORMAL+味玉
ラーメンに満足し、再び宇都宮中心部に戻ってきました。

宇都宮城址です。

関東七名城の一つである宇都宮城ですが、慶応四年(1868)の戊辰戦争の
戦地となり、建造物は藩校修道館などを残して宇都宮の町並み共々焼失。
明治二十三年(1890)には城郭一帯が民間に払い下げとなり、御本丸公園
として整備され城門などの痕跡は払い下げによって失われました。
現在、本丸の一部(土塁・富士見櫓・清明台櫓・土塀)が外観復元されています。



土塁内部は、鉄筋コンクリート造で、色々な展示や
防災センターになっています。


清明台櫓(木造復元)

清明台 Seimei-dai
宇都宮城本丸の土塁北西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には二階建て瓦葺きで描かれており、広さ三間(5.9メートル)×三間半(6.9メートル)と記録されています。清明台のあった部分の土塁は、ほかの部分よりも高く、天守閣の役割を果たしていたのではないかといわれています。-案内板より


土塀(復元)

本丸内側とエレベーター(奥は富士見櫓)


富士見櫓は、元和五年(1619)、本多正純が城の改修を行った際に
建てた2重2階の櫓です。
現在の富士見櫓は平成十九年に復元されたもの。


富士見櫓 Fujimi-yagura
宇都宮城本丸の土塁南西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には瓦葺きで描かれており、広さ三間(5.9メートル)×四間(7.9メートル)と記録されています。
富士見櫓の名のとおり、まわりに高い建物がなかった江戸時代には、遠く富士山の姿が望めたと考えられます。-案内板より

公園内にわずかに残る土塁
なんとも中途半端な城址でしたが、さらに本丸御成御殿、清水門、伊賀門を
外観復元する計画がある様ですので期待せずに待つとします。
つづく