常陸國・下総國 總社と上総國 一之宮(3) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


         [常陸國・下総國 總社と上総國 一之宮(2)のつづき]

本日、3社目に訪れたのは、
下総国 総鎮守 葛飾八幡宮(千葉県市川市)です。



ご祭神は、
誉田別命  ほむだわけのみこと(応神天皇 おうじんてんのう)      
息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと(神功皇后 じんぐうこうごう)  
玉依姫命  たまよりひめのみこと 
 で、ございます。


参道



ご由緒
 葛飾八幡宮のご創建は平安朝の昔、寛平年間(西暦889年~898年)で実に千百年以上も遡ります。宇多天皇の勅願により京都の石清水八幡宮より勧請し、下総の国総鎮守八幡宮としてご鎮座したのが始まりです。以来歴代朝廷の御崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、国民の信仰も深く、当宮は下総の国における葛飾文化、八幡信仰の中心となりました。なかでも平将門の奉幣、源頼朝の社殿改築、太田道灌の社壇修復、徳川家康の御朱印地社領52石の寄進等その尊信は篤いものでありました。
―葛飾八幡宮Webより


随神門(銅葺き 三間一戸 丹塗り 桁行10.36m、梁間4.45m)
 神仏分離以前は天台宗上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺の仁王門。


参道に建つ「八幡音頭・市川小唄」の石碑


神門



拝殿



                           つづく