中部・北陸・瀬戸内 編(137)鬼ノ城(西門) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

         [中部・北陸・瀬戸内 編(136)のつづき]

=第25日目⑧=

次に向かうは、鬼ノ城(神籠石式山城)です。



城跡のある鬼城山 


先ずは、鬼ノ城ビジターセンターにて情報収集です。

 

日本書紀には、唐・新羅の侵攻に備えて西日本の要所12箇所に古代山城を築いたと記されており、もその一つであろうと推測されてます。

また、後世の文献である鬼ノ城縁起によると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおのき「鬼ノ城」と呼んだ」これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。と伝わっております。

 

鬼ノ城は、鬼城山の山頂部に築かれており、すり鉢形の山容の8~9合目の外周を、石塁・土塁による城壁が、鉢巻状に2.8キロメートルに渡って巡っている。城壁は土塁が主体で、城門4ヵ所、角楼1ヵ所、水門6ヵ所などで構成され、城壁を保護するために敷石が敷かれています。
(この敷石の発見は、国内初)

では、登城します。



初めの急登が終わり、視界が開けてくると



復元された城門(西門)と土塀です。








西門




                           つづく