鎌倉北条氏の次は、小田原北条氏③ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。



      [鎌倉北条氏の次は、小田原北条氏②のつづき]


後北条氏の居城・小田原城をあとにし、箱根の山を登り、支城の山中城へ


旧東海道・石畳(復元)





入るとすぐに看板がありました。



ゴルフ?この疑問は後に判明しました。


三の丸堀


西の丸(右手)・西櫓(中央奥)の畝堀

見事ですね。
この西櫓の畝堀は空堀の中に高さ約1.8mの“畝(うね)”を掘り残し、
空堀全体を10区画に区切っています。
・堀底=およそ2m×5m
・堀の深さ=約9m
・傾斜=約55度
しかもこの地域はロームという、粘土質で滑りやすい地質ですので、
攻めるには、大変なの苦労があった事でしょう。

西の丸(奥が見晴台)

これではゴルフの練習をしたくなる気持ちもわかります。

西の丸・見晴台から愛鷹山(左)富士山(右奥)を望む



あいにく、富士山は「頭を雲に隠されて~」でした。

後北条築城術の粋を集めたと言われている「障子堀」



見事です。
記述によると、一部は水堀になっていたそうです。




                         つづく