[鎌倉北条氏の次は、小田原北条氏②のつづき]
後北条氏の居城・小田原城をあとにし、箱根の山を登り、支城の山中城へ

旧東海道・石畳(復元)


入るとすぐに看板がありました。

ゴルフ?この疑問は後に判明しました。
三の丸堀

西の丸(右手)・西櫓(中央奥)の畝堀

見事ですね。
この西櫓の畝堀は空堀の中に高さ約1.8mの“畝(うね)”を掘り残し、
空堀全体を10区画に区切っています。
・堀底=およそ2m×5m
・堀の深さ=約9m
・傾斜=約55度
しかもこの地域はロームという、粘土質で滑りやすい地質ですので、
攻めるには、大変なの苦労があった事でしょう。
西の丸(奥が見晴台)

これではゴルフの練習をしたくなる気持ちもわかります。
西の丸・見晴台から愛鷹山(左)富士山(右奥)を望む



あいにく、富士山は「頭を雲に隠されて~」でした。
後北条築城術の粋を集めたと言われている「障子堀」


見事です。
記述によると、一部は水堀になっていたそうです。

つづく