東京裁判③~復讐と見せしめ~ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


今から67年前の昭和23年(1948年)11月4日、
「裁判と言う名の復讐劇」である
極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判の判決の言い渡しが始まりました。

刑の宣告を含む判決の言い渡しは、英文1212頁にもなる膨大なものであったが、
裁判長のウィリアム・ウェブは1分強で1頁を読み上げるという速さで読み上げ、
同月12日までに、判決前に病死した2人と病気のため訴追免除された大川周明
1人を除く全員が有罪。
うち7人が絞首刑、16人が終身刑、2人が有期禁固刑となりました。


復讐の為の事後法による裁判で被告とされた方々

東條英機 閣下(死刑)
板垣征四 閣下(死刑)
木村兵太郎 閣下(死刑)
土肥原賢二 閣下(死刑)
広田弘毅 閣下(死刑)
松井石根 閣下(死刑)
武藤章 閣下(死刑)
荒木貞夫 閣下(終身禁錮刑)
梅津美治郎 閣下(終身禁錮刑)
大島浩 閣下(終身禁錮刑)
岡敬純 閣下(終身禁錮刑)
賀屋興宣 閣下(終身禁錮刑)
木戸幸一 閣下(終身禁錮刑)
小磯國昭 閣下(終身禁錮刑)
佐藤賢了 閣下(終身禁錮刑)
嶋田繁太郎 閣下(終身禁錮刑)
白鳥敏夫 閣下(終身禁錮刑)
鈴木貞一 閣下(終身禁錮刑)
橋本欣五郎 閣下(終身禁錮刑)
畑俊六 閣下(終身禁錮刑)
平沼騏一郎 閣下(終身禁錮刑)
星野直樹 閣下(終身禁錮刑)
南次郎 閣下(終身禁錮刑)
重光葵 閣下(禁錮刑7年)
東郷茂徳 閣下(禁錮刑20年)
永野修身 閣下(判決前に獄中にて病死)
松岡洋右 閣下(判決前に獄中にて病死)
(思想家の大川周明氏は精神障害?による訴追免除)


そして、死刑の執行は、
皇太子殿下(当時)で有らせられた継宮明仁親王(今上天皇陛下)のご生誕の日
(現天皇陛下ご誕生の日)であります。
また、この茶番劇が実質的に始まった日(起訴状の提出日)、
昭和21年(1946年)4月29日は、
天皇陛下(昭和天皇)のご生誕の日です。

これらが、偶然というには無理があるのではないでしょうか。
そもそも、事後法での裁判自体が「復讐と見せしめ」以外の何ものでもありません。


裁判官と判事

ウィリアム・ウェブ(オーストラリア連邦派遣) - 裁判長
マイロン・C・クレマー少将(アメリカ合衆国派遣)- ジョン・P・ヒギンズから交代。
ウィリアム・パトリック(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国派遣)
イワン・M・ザリヤノフ少将(ソビエト社会主義共和国連邦派遣)
- 法廷の公用語である英語を使用できず
アンリー・ベルナール(フランス共和国派遣)
- 法廷公用語である英語を十分使用できず
梅汝璈(中華民国派遣) - 法曹経験なし
ベルト・レーリンク(オランダ王国派遣)
E・スチュワート・マックドウガル(カナダ派遣)
エリマ・ハーベー・ノースクロフト(ニュージーランド派遣)
ラダ・ビノード・パール(インド派遣) - 判事の中では唯一の国際法の専門家。
平和に対する罪と人道に対する罪とが「事後法」にあたるとして全員無罪を主張
デルフィン・ハラニーリャ(フィリピン派遣) - 被告全員の死刑を主張


ウェブ 裁判長


判事たち


その他にも海外でおこなわれた「裁判と言う名の復讐劇」でも一千名を超える方々が
有罪判決を受けました。

しかし、インチキ裁判もどきの結果、戦犯と呼ばれる方々は、
サンフランシスコ講和条約の第11条の手続きに従い、関係11ヵ国の同意を得て、
参議院での「戦犯在所者の釈放等に関する決議」(昭和27年6月9日)
衆議院での「戦争犯罪による受刑者の釈放に関する決議」(昭和27年12月9日)
「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(昭和28年8月3日)
「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」(昭和30年7月19日)で可決、
赦免・減刑されました。
現在では、これらの方々は、後に叙勲受章者・叙勲打診された方もあり、
犯罪歴がある(戦犯)とは考えられてはいないのであります。

一部の反日利権者は今だ利用してますが、事実は変えられません。
極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判は戦勝国による単なる「勝者の裁き」で、
「裁判と言う名の復讐劇」であります。

日本人は正しい歴史を学び、その上で先の大戦を
考えなければならないのでは、ないでしょうか。


全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。



東京裁判①(拙ブログ)→こちら

東京裁判②(拙ブログ)→こちら