本日は「横浜大空襲」の日です。
昭和20年5月29日、米国の無差別爆撃により、
約1万名の尊い命が奪われました。
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【タイ陸軍全権掌握=クーデター宣言(5月22日)】
【夜間外出禁止令発令中(00:01-04:00外出禁止)】
5月29日のタイデモ関連・最新情報&ニュース+α1
情報=
・タイ情報通信技術省発表、
ネットやSNS等を厳しく取り締まる為、国家インターネットゲートウェイを設置。
軍とハイテク犯罪警察が、軍命令違反のSNS等を規制し、効率的に検閲を行い、
不法な情報拡散を調査&逮捕。2ヶ月以内に設置する予定
=現地日本語ニュース=
・汚職制圧委、コメ質入れ制度の巨額損失を捜査へ
(http://www.bangkokshuho.com/article_detail.php?id=3944)
インラック政権が開始したコメ質入れ制度の損失が5000億バーツにのぼると財務省の委員会が発表したことを受けて、国家汚職制圧委員会(NACC)のサンサン事務局長は5月27日、 NACCが同制度に絡む不正疑惑を捜査することを決定したと明らかにした。
財務省の担当者によれば、預かったコメのうち280万トンが帳簿に記載があるものの実際には存在しないことが判明しているとのことだ。
一方、同制度を担当する商業省では「コメが紛失した事実はない」と発表しているものの、同省事務次官は、「コメの売却を数日中止して在庫をくまなくチェックする」と述べている。[Weekly Bangkok Shuho]
=日本メディアニュース=
*何故こうも日本の解説は表面的なお決まりの話だけなのだろう。
「タクシンが反王室」は、正確ではないですね。
しかし、この論(後半)には一理ある
・繰り返されるクーデター「タイ式民主主義」の行方は
早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
(http://thepage.jp/detail/20140527-00000019-wordleaf?page=1)
政治混乱が続くタイで2014年5月22日、軍がクーデターを起こし、まずは行政を、続いて立法府も掌握した「完全クーデター」へと発展しました。どうやら司法府も傘下に置かれたようです。全権を握ったプラユット陸軍司令官は「国家平和秩序評議会」の議長に就任すると発表しました。当面は軍政が敷かれるとみられ、議会制民主主義の根幹をひっくり返す暴挙という批判が国際社会からも起きています。
繰り返されるクーデターと絶対的な存在の国王が混乱の幕引きを行ってきた、いわゆる「タイ式民主主義」。その背景と今後をみてみましょう。
-タクシン派と反タクシン派の対立が背景-
混乱の背景は「タクシン派」と「反タクシン派」の衝突。タクシン氏は2001年に首相に就任し、実業家出身らしくタイの経済成長に寄与しました。半面で「政治とカネ」の問題や身びいき人事、ばらまき政策で批判も浴び、政権長期化とともにタイ国民の敬慕を一身に集めるプミポン国王(ラーマ9世)および王室を軽視する発言が目立ち、将来的に王制を廃止して自らが大統領になる野望を抱いているといううわさが絶えませんでした。
一方タイの陸海空3軍は国王が統帥権(指揮権)を握る「国王の軍隊」です。後述するように議会制民主主義に欠かせない選挙でタクシン派は「ばらまき」と非難もされた政策で貧しかった東北部や北部で圧倒的な支持を得、それは06年のクーデターでタクシン氏自身が追われた後も「タクシン派」を支える大きな要因となりました。
-06年クーデターでタクシン氏失脚後も混乱-
06年のクーデターで憲法を停止した軍司令官はただちに国王へ報告し、2日後にはひざまずいて報告する姿を公開しました。この時もタクシン派の反発は相当でしたが首都バンコクでの世論調査で84%が「クーデターを支持する」と回答したとの報道がなされたように「王様がお認めになった」は大きなお墨付きになりました。
その後に作った新憲法では議会(上下両院)のうち上院の半数を国王の任命とし、半数は国民の選挙ながら政党は排除。その上院が承認して国王が任命するのが憲法裁判所裁判官。この仕組みでタクシン派を押さえ込める……はずでした。しかし07年、11年、14年の総選挙はいずれもタクシン派勝利。その度ごとに憲法裁判所が首相を失職に追い込んだり、タクシン派政党を解散させたり、選挙を無効にしたり。「反タクシン派」も選挙で勝てないのを見越してボイコットやデモで対抗します。
今回の騒動もインラック首相(タクシン氏の妹)を憲法裁が失職させ、内閣の一員だったタムロン首相代行らに軍は総辞職を迫ったのを拒否。一方で「反タクシン派」の中心でデモを率いてきたステープ元副首相は議会制民主主義そのものを否定する過激な思想の持ち主で、彼らの主張を認めると選挙を経ない暫定首相を選ばなければなりません。「国王の軍隊」が憲法に基づかない首相を国王に承認してもらうわけにもいかず、といって放っておけば混迷がさらに深まり、結局「全部ダメだ」とクーデターでケリをつけようとしたもようです。
-今回は国王との面会映像なく「憶測」呼ぶ-
ところで今回のクーデターを主導した陸軍司令官は、前の時と違って国王への面会を求めず書簡での報告に止めています。その後、国王はプラユット令官は「国家平和秩序評議会」議長就任を認める勅令(王の命令)を出して一応の正統性を確保したものの過去のクーデターや騒乱で「切り札」になっていた国王とのいわばツーショットや映像がありません。あえて求めていないのか。別の理由があるのか。憶測が乱れ飛んでいます。
まず「タクシン派」「反タクシン派」ともに自身の正当性を国王へ認めてもらおうとしていた具体的な動きへの危惧があります。また陸軍司令官は忠実な王党派なので高齢の国王の判断力や健康状態を何らか知っていての決定かも知れません。
何より大きいのは今回ばかりは「王様がお認めになった」で一挙に沈静化するという過去のケースが通用しない恐れでしょう。国王がクーデターを明確に承認し、おそらくは大いに不満であろう「タクシン派」がしたがわず、大規模デモや軍政との衝突に発展したら、国王の権威が失墜します。「国王の軍隊」としては絶対に避けたい事態です。ただこの手法だと「王様がお認めになった」がないから公然と反発されるという危険性を裏腹に抱えています。「勅令がある」で収まるかどうか。
-絶対的な存在を誇るタイの国王-
言い換えるとそれほどタイにとって国王の存在は絶対でした。在位68年目は現役ではイギリスのエリザベス2世の62年目より長く世界最長。確認できる主な国と地域での最長はフランスの「太陽王」ルイ14世の74年とみられ、既に歴史的存在です。戦後の大半を国王として君臨し、何度も起きたクーデターや騒乱の幕引き役も務めてきました。57年クーデターで政権を握ったサリット首相は国王への絶対忠誠を誓って自己の独裁を正当化してもいました。後継のタノム首相も似た手法を取ったものの、民主化デモと出身母体の軍がぶつかり合うという失政を起こし1973年に亡命しました。最後は国王から「責任を取れ」と引導を渡されたという説もあります。
プミポン国王の「凄さ」は91年のクーデター直後にいかんなく発揮されました。スントーン最高司令官らがクーデターを決行して民政のチャチャイ政権を転覆させ、翌92年にスチンダ陸軍最高司令官を首相にしようとした際の騒乱です。やはり民主化を求める市民の大規模デモに発展し軍と衝突し、軍はデモ隊に発砲して44人が死亡します。国王は双方の代表格を招いて和解を促しました。ひざまずいた軍と政治家は謹んで承り騒乱は一気に沈静化、4か月後に総選挙が無事に行われて文民政府が誕生したのです。この場面は世界中のテレビで報じられました。
現国王が9代目のラタナコーシン朝(バンコク朝)そのものへの尊崇もありましょう。映画『王様と私』の「王様」のモデルでもあるラーマ4世は開国を決断した開明派でした。続くラーマ5世の42年はイギリスとフランスが東南アジアを次々に植民地化していくなかで堂々と渡り合って独立をまっとうした治世でもありました。さらに1920年創立の国際連盟加盟を実現させて独立国家であるのを世界に認めさせたラーマ6世、専制君主制から立憲革命への変更を受け入れたラーマ7世と特長ある王を輩出し続けました。
なぜクーデターが繰り返される?
戦後のタイ情勢はクーデターや未遂が多発しています。クーデターを起こした軍人が失政やら独裁化するなどして「元身内」の軍から追い出されたり、汚職、腐敗、経済的失敗などの混乱を軍が粛清する意味合いもありました。ソ連崩壊(1991年)までは共産主義勢力の排除もクーデターの主たる目的となっています。
タイの政情は今まで揺れ続けており、その間ほぼ唯一揺らがなかった王座が結果的に解決の最終手段になってしまったようです。
「タイ式民主主義」の今後は
タイが今後も立憲君主制度下の議会制民主主義を掲げるならば、正統な国民の選挙の結果を軍も受け入れるしかないはずです。06年のクーデターで「タクシン派」をけん制する仕組みを作ったのに「反タクシン派」とのいざこざは解決しなかったどころか混乱に拍車をかけただけでした。
そこを「反省」して軍事政権を長期化させたり、「タクシン派」を封じ込めるいびつな新憲法を作ったりしても根深い不信が社会にみなぎってテロなど過激な方向に行きかねないし、そうした仕組みを国際社会も議会制民主主義国家とは認めないでしょう。「反タクシン派」もクーデターを歓迎しているようでは話になりません。国民への支持を広げるのを忘れて、デモはともかく選挙ボイコットをするような政党が敗北するのは自業自得という常識を徹底させるべきです。
古風の極みである王政が場外乱闘を繰り広げる政党政治を、これまた古風なクーデターという手法で鎮圧した軍を権威付け、その目的が「国民の結束を図るため」というのは実に奇妙な構図です。それでも国王に頼れるうちはともかく、既にご高齢で後継者も決定していないという大きな課題も抱えています。[THE PAGE]
=海外メディアニュース=
・タイ情報通信省がフェイスブックを一時遮断、軍は技術的問題と説明
(http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0E81JO20140528)
[バンコク 28日 ロイター] - タイ情報通信技術省は28日、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のフェイスブックへの接続を一時的に遮断した。軍の要請としているが、軍事政権は技術的な問題で一時的に接続不能になったと説明している。
フェイスブックは30分程度接続不能となり、ツイッターなどのメディアには当惑する利用者のメッセージが溢れた。
情報通信技術省のスラチャイ事務次官は、ロイターに対し、インターネット上の軍への批判を阻止するために遮断したと認めた。
「われわれはフェイスブックを一時的に遮断した。われわれは明日、ツイッターやインスタグラムといったソーシャル・メディアに協力を求めるために、会合を呼びかけるつもりだ」と述べた。
フェイスブックが接続不能になってからすぐに、軍の高官はテレビ放送で国民に対し、遮断されてはおらず、通常サービスが再開すると語った。
国家平和秩序評議会の報道官は、インターネット・ゲートウェイでの不具合を理由に挙げた。「われわれはフェイスブックを遮断する方針はない」とした。
タイ政変とこれまでのデモの流れはこちらから、順にご覧下さい。
《 テーマ:Welcome 2 Thailand 》
http://ameblo.jp/umibouzu2010/themeentrylist-1-10075302558.html
「【タイ好き?】定期イベントですかぁ①~⑳」
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11660582005.html
「【タイ好き?】定期イベントですかぁ改め反政府デモ2013①~㊿」
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11713405983.html
「【タイ好き?】反政府デモ2013(2556)改め反政府デモ2013~2014(1)~(50)」
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11737925751.html
「【タイ好き?】反政府デモ2013~2014改め反政府デモ2014最新情報(1)~(99)」
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11763330356.html
「【タイ好き?】反政府デモ2014最新情報改めデモ2014最新情報+α(1)~(50)」
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11817365348.html
【タイ好き?】デモ2014最新情報+α改めクーデターで軍事政権樹立(1)~
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11858255698.html