【タイ陸軍全権掌握=クーデター宣言(5月22日)】
【夜間外出禁止令発令中(22:00-5:00外出禁止)】
5月27日のタイデモ関連・最新情報&ニュース+α3
=速報=
・先程、デモ警戒の為、ヴィクトリーモニュメント(アヌサワリー)に、軍が到着
反クーデターデモ隊は居ない模様。*兵士に花をあげる人は居る
<=情報=
・BTS他主要交通機関は今の所、昨日と同様、21:00まで
(センセープ運河ボートのみ ~20:30)
=現地日本語ニュース=
・タイ国王がクーデター承認 公式面会なし、異例の展開
(http://www.newsclip.be/article/2014/05/27/21939.html)
22日のクーデターで全権を掌握したプラユット陸軍司令官は26日、自らを首班とする軍事政権「国家平和治安維持委員会(NPOMC)」による統治について、プミポン国王の承認を得た。
1970年代以降のタイのクーデターではプミポン国王の承認が得られるかどうかが成否を分けた。タクシン政権を追放した2006年のクーデターでは、ソンティ陸軍司令官(当時)がクーデター当日の夜、他の軍司令官、警察長官とともに国王夫妻に面会し、クーデターの承認を得た。プラユット司令官は今回のクーデター後、国王に公式に面会せず、クーデターの実施を書状で通知しただけだったもよう。こうした異例の対応は、王室を政治に巻き込まないための配慮とみられている。
今回のクーデターは2006年と経緯が似ている。2006年のケースでは、反タクシン元首相派市民による大規模なデモを受け、タクシン首相(当時)が下院を解散、総選挙に踏み切った。しかし、反タクシン派の民主党が選挙をボイコットし、憲法裁判所が選挙結果を無効とする判決を下した。選挙管理内閣として権限を限定されたタクシン内閣は打つ手を失い、9月の長期外遊中にソンティ司令官によるクーデターが発生し、政権が崩壊した。
ソンティ司令官はその後、国王の諮問機関である枢密院のスラユット顧問官(元陸軍司令官)を首相とする暫定政権と新憲法起草のための委員会を発足させ、暫定政権の後見人的な役目を果たした。2007年9月末で陸軍司令官を定年退官し、軍政トップの座からも降り、軍政トップはチャリット空軍司令官(当時)が引き継いだ。
2006年のクーデターについては、タクシン派の一部から、プレム枢密院議長(元首相、元陸軍司令官)がソンティ司令官に命じて実行させたという見方が出ている。ソンティ氏は定年退官後、軍政がまだ続いていたにも関わらず、表舞台から姿を消し、2011年の下院選に、自身が信奉するイスラム教系の小政党の党首として出馬し当選。国会ではタクシン氏への恩赦を支持したり、クーデターに反対するなど、以前とは正反対の立場をとった。
一方、チャリット空軍司令官は定年退官後の2011年、枢密顧問官に就任した。暫定首相を務めたスラユット氏は枢密顧問官に戻り、枢密院での序列は3位に上がっている。
今回のクーデターは、反タクシン派デモを受け、タクシン氏の妹であるインラク首相(当時)が下院を解散、民主党が選挙をボイコットし、民主党系のデモ隊が投票を妨害、憲法裁が選挙無効の判断を下す、というあたりまでは2006年とほぼ同様の道筋をたどった。
しかし、クーデターそのものをみると、2006年とは異なり、プラユット司令官が独自に決断、実行した可能性が高いようだ。プラユット司令官は今年9月末に定年退官するが、タクシン派対反タクシン派の抗争を自分の手で終結させる意思を示し、10月以降も軍政トップに居座る構えだ。
2006年のクーデターでは反タクシン派の有力者グループがかなり詳細な計画を立てていたとみられ、クーデターから暫定政権発足、新憲法制定、2007年末の民政移管選挙までの日程が比較的早い段階で明らかにされ、ほぼ予定通り進んだ。プラユット司令官が今回、こうした後ろ盾や詳細な計画なしにクーデターに踏み切ったとすると、民政移管への道筋は、う余曲折が予想される。[newsclip]
=日本メディアニュース=
・クーデター余波、歓楽街も“タイ”変 風俗嬢の懐直撃、死活問題に
(http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140527/frn1405271538008-n1.htm)
軍によるクーデターで揺れるタイ。いまのところ、流血、騒乱など大惨事は起きてはいないが、打撃は各地に及んでいる。「アジア最大級」と称されるタイの歓楽街も同様だ。軍が発令した夜間外出禁止令が、風俗店を直撃。業者らは「とても商売にならない」と悲鳴を上げている。
「夜間外出禁止令で(バンコクのナイトスポット)ナナプラザ、ソイ・カウボーイなどの店舗は午後10時には閉店するようになった。無線を持った警官が店を一軒一軒回って、営業を停止するよう呼びかけている」(現地駐在員)
今回の夜間外出禁止令は、首都バンコクだけでなくタイ全土に発せられた。日系企業などが進出する巨大工業団地で知られるチョンブリー県(バンコク近郊)も同様で、工場の従業員が夜な夜なタイ娘に癒やされる歓楽街シラチャやパタヤでも午後9~10時には強制閉店となっている。
「1月から激化した反政府デモで夜遊び客が激減し、日系企業でも社員に夜間外出の自粛を求めたところが多く、風俗嬢の懐を直撃していた。そんな状況での夜間外出禁止令とクーデター。客が来ないどころかまともに営業ができず、彼女らの死活問題になっている」とは、アジアの風俗事情に詳しいライター。
風俗嬢の多くは「イサーン」と呼ばれるタイ東北部の出身。「貧しい農家から出てきた娘が大半」(同)だそうで、農村へのバラマキ政策を続けたタクシン元首相派の支持者が多い。
「そのため、タクシン氏の妹、インラック首相率いる政権へのデモに対しては、彼女らの多くが反対していた」(同)
だが、インラック政権は反タクシン派のデモに追い詰められ、揚げ句、軍がクーデターを起こして「国家平和秩序評議会」を設置。そして夜間の外出禁止という“非常事態”に…。
ナナプラザのゴーゴーバー嬢は「反タクシン派は民主的じゃない。選挙をすればタクシン派が勝つのに納得できない。治安を気にして、お得意さまの日本人が寄りつかなくなってしまわないか気がかり。早く混乱が収まってほしい」と嘆く。
切実な訴えがタイの歓楽街をさまよっている。 (ライター・室橋裕和)[zakzak]
=海外メディアニュース=
・Thai Military Mum on Election Timeline After Coup
タイ国軍、選挙に関して口つぐむ クーデター後
(http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304357604579586983157715064)
【バンコク】タイ軍の指導部は間もなく、軍部が崩壊させたポピュリスト政権がしていたのと同じ程度の支出拡大を始める可能性がある。
タイ近代史上12回目となるクーデターから4日たった26日、同国陸軍のプラユット司令官は統治機関樹立に向けて作業を始めているとしたが、バンコクなどで散発的デモが広まる中で、総選挙のスケジュールは示さなかった。
同司令官の関心は選挙よりもタイ経済の立て直しにあるようだ。今年第1四半期(1―3月)の同国経済は、7カ月近くにわたるデモや騒乱を受けて、前四半期比2.1%縮小した。
経済問題を担当している空軍のプラジン大将は26日、財務省当局者に対して、政府支出を円滑に進めるよう指示した。同大将は、軍部は今年の経済成長率を少なくとも2%(昨年は2.9%)となるように成長を加速させたい考えだとし、特にバンコク市内および周辺での大量輸送機関のプロジェクトに重点を置くと述べた。
=クーデターの混乱続くタイ=
財政政策局のソムチャイ局長は25日、プラユット司令官は最近の騒乱で凍結されている政府支出を再開するとともに、経済強化のための刺激策を検討していると明らかにした。
同司令官自身は25日に投資家や日本企業の代表者らと会い、新しい軍事政権は経済を活発化させると確約した。トヨタ自動車とホンダは生産を減らしており、混乱が続いていることから新規の投資も実行されなくなる恐れがあると警告した。
エコノミストは、かつてアジアで最も輝かしい経済展望を持っていたタイは地域での成長レースでマレーシアやインドネシアなどの近隣諸国に負けていると指摘している。
他の国の政府は投資呼び込みのためにインフラを拡充しようとしているが、タイの指導者はタクシン元首相の追放につながった2006年の前回クーデター以来、しばしば起こる流血の対立で身動きが取れないでいる。前政権が計画していた大規模プロジェクトは裁判所によって差し止められた。
プラユット司令官がタイ経済をより安定した路線に戻せるかは、民主的なルールを復活させるための明確なロードマップ(行程表)を示して、国民の間に広まっている疑念の一部を払拭できるかどうかにかかっている。キャピタル・エコノミクスのエコノミスト、クリスタル・タン氏は調査リポートで、「完全に機能する政権ができれば、公共支出は増える可能性があるが、民間支出は政策の方向と政治的安定がもっとはっきりするまでは、低調なままになる公算が大だ」と指摘した。
ムーディーズ・インベスターズ・サービスの見方も同様に悲観的で、「政治的行き詰まり状態が年内いっぱい続けば、その経済的コストはかなりなものになるだろう」と予想した。
一方、プラユット司令官はコントロールの地固めに取り掛かった。同司令官は、反クーデターデモの取り締まりを続けるとし、メディアに対しては正確な報道をするよう要求した。また、国民に対してソーシャルメディアに扇動的なメッセージを投稿しないよう勧告した。これまでのところソーシャルメディアにはテレビやラジオ放送に適用されたような厳しい検閲は行われていない。
金色のモールが付いた白の儀典用制服を身につけてクーデター後初めての記者会見に臨んだ同司令官はまた、タイのプミポン国王(86)がクーデターを承認したことを明らかにした。テレビはその後、大きな国王の肖像画の前で跪く同司令官の映像を流した。この記者会見と国王の承認は軍による権力争奪を正式に認めるものだ。
同司令官は他の高級将校らとともに壇上に並び、倒された政権の支持者と、タクシン元首相の以前からの影響力に反対している反タクシン派との間にできた深い溝を埋めたいと述べた。タクシン氏の妹のインラック首相は裁判所によってその職を解かれており、彼女の後継者はタクシン氏の企業で幹部を務めていた人物だ。
プラユット司令官は「タイのこれまでの諸問題に対処する広範な改革を監督する機関を設け、平和裏に民主的に前進できるようにしたい」と述べた。
クーデターに抗議する散発的なデモは先週末に広まり、26日午後にはバンコク中心部の戦勝記念塔周辺で数百人がデモを行った。
同司令官がタイをどのように導くのか、それはいつまで続くのかは依然として不明だ。同司令官は記者団に、新首相の指名は計画されているとしながらも、誰がなるのか、あるいは司令官自身がなるのかについてはコメントしなかった。また、選挙については話し合いがまだ続いており、国民は結果を「待たなければならない」だろうと語った。その上で、将来の選挙はどのような形になろうとも、治安状況に左右されることになると話した。
さらに、「この国には問題があり、これを解決しなければならないと言いたい」とし、「われわれはわれわれ自身のために権力を取ったのではなく、それには理由がある。必要な措置だった。全ての人にこのことを理解してほしい」と述べた。
エコノミストは、政治家たちの間での対立で10月1日に始まる新年度の予算が議会を通過できずにいるため、政治危機が財政問題を引き起こす恐れがあるとしている。[THE WALL STREET JOURNAL]
=その他ニュース(+α)=
・ホーチミン:ストリップレストランを摘発、売春斡旋も
(http://www.viet-jo.com/news/sanmen/140522070831.html)
ホーチミン市警察は19日午前1時15分ごろ、同市1区チャンフンダオ通り242B番地にあるレストラン「フオンドー(Phuong Do)」の立ち入り検査を実施し、男性客をターゲットとした売春ルートを摘発した。
警察によると、2か月にわたる捜査の末、売春ルートの全貌が掴めたため、摘発に踏み切ったという。摘発時、店内では複数の女性店員が半裸の状態で男性客4人の前で踊っていた。
また、警察はレストランの摘発と同時に、1区チャンディンスー通り周辺のホテルを立ち入り検査し、売買春行為を働いていた男女3組を現行犯逮捕した。女らはこのレストランの店員で、警察の取調べに対し、店の管理人から売春の斡旋を受け、1回150万ドン(約7200円)で売春を行っていたと供述している。[VIET JO]
タイ政変とこれまでのデモの流れはこちらから、順にご覧下さい。
《 テーマ:Welcome 2 Thailand 》
http://ameblo.jp/umibouzu2010/themeentrylist-1-10075302558.html
「【タイ好き?】定期イベントですかぁ①~⑳」
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11660582005.html
「【タイ好き?】定期イベントですかぁ改め反政府デモ2013①~㊿」
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11713405983.html
「【タイ好き?】反政府デモ2013(2556)改め反政府デモ2013~2014(1)~(50)」
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11737925751.html
「【タイ好き?】反政府デモ2013~2014改め反政府デモ2014最新情報(1)~(99)」
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11763330356.html
「【タイ好き?】反政府デモ2014最新情報改めデモ2014最新情報+α(1)~(50)」
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11817365348.html
【タイ好き?】デモ2014最新情報+α改めクーデターで軍事政権樹立(1)~
http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11858255698.html
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