続きです

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ピンポーン

   夜9時、宅配便であるはずがなかった。ヨンウォンは怯えながら玄関モニターを見た。外には誰もいなかった。

「ど、どなたですか?」

   返事も無かった。ヨンウォンは恐怖を押しのけるように、後ろに1歩退がった。ところが、背中に冷んやりとしたものが触れた。振り返らなくても誰なのか感じ取った。ヨンウォンを襲いかけた恐怖が、跡形もなく消えたから。甲1が後ろから、ヨンウォンの肩をそっと抱きしめた。

「言われた通りにチャイムを押した。」

   耳元でやっと聞き取れるほど小さな声だった。なので、まるで愛を囁かれたような錯覚に陥った。

「押したら、私が誰かと聞くので、カビルって答えなきゃ。」

「そうだったのか?」

   甲1がヨンウォンを懐から放し、リビングに行った。

「ま、待って。もう少し、こうしててもいいのに…。ところでカビルは、どうしてこんなにスキンシップが自然なの?」

「ん?」

「ううん、今のバックハグもこれ以上ないくらい、凄く…」

   リビングに立ってヨンウォンを見つめる甲1の表情は、以前と変わりなかった。私的な感情は感じられなかった。なので、曖昧に言葉を終えた。

「…適切で良かったわ。」

「なぜ急にブスっとするんだ?」

「人類に対する慈愛心がどこまで公的で、どこまで私的なのかを探求する姿勢っていうか?」

「何を言っているのか分からない。」

「平たく言えば、さっきカビルが後ろから抱きしめてくれたのは、とても良い行動だったってこと。私だけに良い行動ってことよ。他の人にはそんな事をしてはダメ!」

「他の人間にはしないよ。」

「えっ?今のバックハグ、人類に対する慈愛心じゃなかったの?」

   甲1が、訳が分からないという表情をした。それでも口元には笑みが浮かんでいた。

「後ろから、どうして私を抱きしめたの?」

「君が前にいたからだ。」

「ただ、たまたまいたから?」

「たまたま?たまたま……、そうだな。次からはしないよ。」

「いいえ、して!そういうのは、どんどんやってもいいのよ!するなって意味じゃないわ。カビルのスキンシップにもっと私的な感情が込められてたらいいのにっていう意味よ。」

   甲1が、分かったと言うように笑いながらうなずいた。本当にわかったのだろうか?彼がソファーに座りながら言った。

「この前食べたケーキ、買って帰りたいんだが、どこで買えばいいんだ?」

   ヨンウォンが、彼の傍にピッタリくっついて座った。意図してそのように座ったのではなかった。甲1のように、彼女も自分の行動を意識してないように自然だった。

「もう時間が遅いから、閉まってると思うわ。ちょっと待って。確認してみる。」

   ヨンウォンはスマートフォンのアプリを開いた。お店はまだ、配達してくれるみたいだけど、ケーキは全部、売り切れの表示が出ていた。ヨンウォンが甲1に画面を見せた。

「売り切れ。じゃあ、何を買おう?」

「何が必要なの?」

「12人ほどが食べられる物。」

「それほどの人数が好き嫌い無く食べられる物は、チキンぐらいだと思うわ?持って帰るのも楽だし。」

「それは買える?」

「チキンは買えるわ。注文しましょうか?ここに配達してもらえばいいのよ。」

「分かった。」

「いくつ注文すればいい?」

「うーん……、12人だから12羽でいいか。」

「いくら一人一鶏の時代でも、それはやりすぎよ。だいたい4羽でいいんじゃない?塩も入ってるはずだけど。」

   時職と日職は、食べようと思えば無限になる。なんせチキンが入るのは、胃腸ではないから。とは言え、チキンの量を知らないので、ヨンウォンの言う通りにするのもいいと思った。甲1がポケットから札束を取り出して、ヨンウォンに渡した。

「チキン代。」

   巨額の金が目の前に差し出されているにもかかわらず、欲が出るどころか、甲1を心配する気持ちが先立った。

「カビル、次にまた食べ物を買いに来た時は、必ず私と一緒に行こうね。それか、うちに配達してもらうか。」

   ヨンウォンが、札束から5万ウォン札2枚だけ抜いて、残りは彼のコートに再び戻した。

「これで十分よ。この世で何か食べ物を買う時は、必ず私と一緒に行くのよ。分かった?」

「分かった。一緒に行ってくれるなら、俺はなお嬉しい。」

「どんな種類にする?」

「俺には分からない。人間が好きなものでいいよ。」

「じゃあ、私が勝手に選ぶね。」

   人気の新商品から色々な味のチキンと、サイドメニューのチーズボールまで入れ、10万ウォン分注文した。決済まで済ませた。急にヨンウォンの口元に、笑みがふっと浮かんだ。

「なぜ笑うんだ?」

「私のカビルが物怖じするなんて思わなかったもん。急に可愛いく見えて。ははは。」

   ヨンウォンが彼の頭を撫でた。

「やれやれ、ご苦労さま。こんな素直な人にチキンシャトルさせるなんて、どこにでも偉そうな上司はいるのよね。」

   パシリではないが、撫でてくれる彼女の手がとても気に入って、黙っていた。ヨンウォンも、手に感じる甲1の髪がとても心地よかった。端正に整えられた髪は、人間の髪の毛よりもっと柔らかかった。カラーも脱色では無く、自然な色のようだった。髪の色とは違い、眉毛は何故こんなに濃いのかしら。まつ毛も。

「私もさっきまでマスカラをしていたのに。化粧を落とした途端、来るなんて。」

   たかだか3ブロック離れた病院に行くのに化粧までしたのは、甲1と会いたかったからだ。なのに帰ってきて顔を洗って直ぐのタイミングで、甲1が来たのだ。時間が勿体ないのに、何でメイクなんかしたのかと腹が立った。

「靴…」

「えっ?

「靴、服。君の言う通りに脱ぎたいんだが、規則に反すると断られた。」

「靴やコートぐらいは脱げるでしょうに。本当に融通の利かない上司なのね。」

「融通が利かないってのは確かだ。融通性なんて持ち合わせてないから。でもそのお陰で、様々な事件事故が減ったのも事実だから、抗議は出来ないんだ。」

   ヨンウォンが撫でていた手を引っ込めた。今頃になってしょげたからだったが、残念な気持ちが強かったのは甲1の方だった。その気持ちが投影された目つきが、ヨンウォンの心に深く染み込んだ。

「あ……、じゃ、じゃあ、宅配が来るまでTVでも見る?」

「俺は君に逢いに来たんだ。そんなのを見に来たんじゃない。」

   これこそ純度の高いグリーンライト(恋の予感)の台詞に違いなかった。普通の人間同士の会話だったらの話だ。しかし、私的な感情が無いという事実の中で、この言葉も解釈しなければならない。要注意人物、監視という単語が思い浮かんだ。

「監視しに来ても、TVは見られるわ。」

「監視しに来たんじゃない。」

「じゃあ?」

「ただ、来たんだ。」

「なぜ?」

「理由がなくても来てもいいと言ったじゃないのか?」

「理由はな…くはないじゃない。食べ物を買いに来たんでしょ?」

「それは君に逢いに来たついでだ。」

「はぁ!私が少し前まで鏡を見ながら絶望しなくても、人類に対する慈愛心だの何だのすっかり無視して、あなたの話、絶対に私的な感情だと解釈したと思う。」

   甲1が、話が理解出来ないと言うように、首をかしげた。私的な感情でなければ何であろうか。監視人だからってどうなのだ。理由が無くても、理由が無い理由が分からなくても、彼が今、目の前にいればいいんだ。それ以上、何が必要なのか。彼の感情?それは本当に地獄に落とされても文句が言えないほど過度な欲ではないのか?彼を見ることが出来る目を持っているということ、それだけでも感謝すべきだ。

「私たち、次は約束して会いましょうか?」

「今とどう違うんだ?」

「約束して会うのなら、私が準備できるもの。お化粧もして、ジャージも着ないし、カビルの目にもう少し綺麗に見えるように努力する時間ができるもん。」

「そんな時間はなくても、俺の目には君は綺麗だ。愛らしい魂だよ。俺たちにとって、外見は重要じゃない。」

   これは確かに公的な感情に聞こえた。やはり彼は死神だった。心臓だけでなく、骨の髄まで痛みを感じた。

「私は今、私の心臓がどこにあるのか、骨の髄がどこにあるのか感じたわ。そういうのは、痛い時だけ確実に分かるのね。」

「どういう事か分からないが、君が悲しそうに見える。」

「これは悲しい事じゃないの。そんな感情とは違うの。ところで、カビルは他の人の目にも見えるの?法医官使者さんや、院長先生のように?」

「俺もアイツらと同じだ。今のように、有体化状態の時は見える。CCTVにも撮られるし。」

「じゃあ、私と一緒に外に出たら、他の人たちは皆んな見るのね。」

   この実物が外を出歩くと、凄く目立つ気がした。

「それは許されないだろう。俺たちが人目につくのは最小限にしないといけないから。特に俺は。」

「無体化状態なら大丈夫なんでしょ?」

「それは大丈夫だ。」

「わかった!次は外で遊びましょう。私が全部完璧に準備するから、あなたは身一つで来て。」

   こんな風に言ってみると、ウキウキしてきた。子供の頃も遠足は、ウキウキする行事ではなかった。慣れない場所に行かなければならないということ自体、幼いヨンウォンにはストレスだった。なので、ほとんど欠席していた。しかし、今は違った。彼と一緒なら、どこでも全部、ときめく場所だった。甲1が笑った。

「良かった。君が悲しそうじゃなくて。君が今みたいになるなら、何でも君の思う通りでいいよ。」

「勝手なこと言わないでよ。本当に私の思う通りにしたら、あなた、酷い目にあうわよ。私はそんなに純な性格じゃないんだから。」

   甲1が姿勢を変え、ソファーの背もたれにそっと腕を上げながら聞いた。

「酷い目にあうってどんな風に?」

   腕を上げただけなのに、空気と一緒に半分くらい抱かれた感じがした。ヨンウォンが睨みながら言った。

「もしかして、地獄は人が足りないの?」

「いつも溢れかえって困っているが、なぜ?」

「じゃあ、地獄の落とし穴を置かないで。これは本当に邪悪な罠だわ。」

「睨んでるのか?その目つきも可愛い。」

「もうっ、ホントに!思わせぶりな態度はとらないで!誰も私に可愛いなんて言わないわ。」

「可愛いから可愛いと言ったんだが……、人間同士では違う言い方をするのか?」

「私のカビルは慈愛心が満ち溢れてるものね。そうじゃなければ、私まで可愛いと思うはずない…」

   甲1の顔が近づいてきた。今回も首なのか?それなら目を閉じなくてもいいかな?近づいて、やっとわかった。死神の顔にも毛穴があり、産毛があるということを。そして、彼女より肌が綺麗だということを。

ピンポーン

   ヨンウォンがすくっと立ち上がり、玄関モニターの所へ行った。エントランスにいる宅配人だった。オープンボタンを押して、イラつきながら言った。

「宅配が、何でこんなに早いの?いくら我が国の民族性で早く早くが身についてるとしても、これは無いわ!」

   ソファーに一人座っている甲1は、自分の唇を隠してつぶやいた。

「俺は今、何をしようとしていたんだ?」

   チャイムが鳴らなかったら、どうなっていたのだろうか?おそらく今頃、唇が重なっていたのだろう。一体なぜ、そうしようとしたのか?唇を重ねるのは人間たちがする行為なのに。無意識に動いたのではなかった。それは確かに自分の意志だった。それでも何故、そうしたのか分からなかった。

   チャイムが再び鳴った。今度は玄関先だった。家の中に死神がいるのに、何を恐れることがあろうか。ヨンウォンは躊躇うことなく、玄関ドアを開けた。ヘルメットを被った宅配人が、大きくて重いビニール袋を二つ手渡した。ヨンウォンがそれをリビングに持って来る間も、甲1は自分の行動に対して、理解出来ずにいた。

「チキンが来たわよ。」

「あっ?あっ、そうか。」

   ヨンウォンは食卓の上にビニール袋をのせて、中身をざっと確認した。ちゃんと揃っていた。

「このまま持って帰ればいいわ。冷めないうちに。」

「あの世に渡ったら、それ以上は冷めやしないが…」

「ぶよぶよになるわ。

「ぶよぶよにもならないが…」

「ここでは冷めてぶよぶよになるんだってば。」

「そうか。ここではそうだよな。……今日はこれで帰るよ。」

「そ、そうね。遅いものね。」

   成人した男女に、遅いも何も。ビニール袋の持ち手をいじくり回すヨンウォンから、名残惜しさが溢れ出ていた。甲1も同じ気持ちだった。

「この次は、約束して会うんだよな?いつがいい?」

「私も仕事があって、それをなおざりにする訳にはいかないし。カビルは?急に仕事が入ったりするの?」

「俺はそんな事はない。」

「来週の土曜日、一日中、私と一緒にいてくれる?」

「いるよ。」

「外に出かけてもいい?」

「いいよ。但し、俺は無体化でいなきゃならないけど。」

「うん。」

   甲1はビニール袋を掴みながら、家の中を見回した。外からたまに入ってくる騒音を除けば、寂しい空間だった。

「いつも一人でいるのか?」

「昼間はアシ達がいるわ。」

「夜は?」

「いつも仕事で忙しいから。」

「人間は、一人残されたら死ぬって言ってたが…」

「誰がそんな事言ったの?ははは」

「俺はそう習った。人間が群れをなして生活するのは、危険から身を守るための本能から始まったと、一人取り残されたら様々な危険に容易に晒され、より簡単に死に繋がるという恐怖が人間の遺伝子に記憶されたと、それで、寂しいは死から派生した言葉だと、人間の遺伝子には『寂しい=死ぬ』と刻まれていると、寂しさの恐怖と死の恐怖は同じ重さだと、そんなふうに習った。」

「近頃は一人でいても、SNSが発達しているから大丈夫よ。」

「なのに何故、今は寂しそうに見えるんだ?」

「それはカビルが行っちゃうから。SNSの人間より死神のあなたの方がもっと現実だわ、私には。なのに、こうやって行ってしまったら、通信網でも会えないから…」

   甲1が手の甲でヨンウォンの顔を撫で下ろした。涙は無かった。それでも拭いてやりたかった。

「ヨンウォン、死んだらダメだ。だから孤立するな。寂しくなってはダメだ。」

「私は寂しくなんかないわ。」

   甲1が消えた。食卓の上のチキンも消えた。

「…あなたがいれば、あなたがいてこそ、私は寂しくないのよ。」

   一人残されたヨンウォンがうなだれた。この次、会う約束をした。約束のない別れではなかった。それにも関わらず、会いたいと思う感情をコントロールすることが出来なかった。いつも寂しかったのに、そうやって恐怖から遠ざかっていたのに、そんなのは寂しさではなかった。甲1を見送って一人残された今、本当の寂しさに気づいた。

「あ……、この寂しさに、これからどうやって耐えればいいの?」

   ヨンウォンは力いっぱい首を振った。そして気合いを入れるように、両頬をピシャリと叩いた。

「ダメよ!もう弱音を吐いてどうするの。何としてでも耐えなくちゃ。ずっと愛し続けたいから…」

   突然、目の前が真っ暗になった。灯りが消えたのでも、世の中が暗くなったのでもなかった。真っ黒で冷んやりとした人の懐に入ったからだ。恐怖が消えて寂しさが消えたから、誰の懐なのか分かった。

「カ、カビル?なぜまた来たの?」

   甲1が力を込めて抱きしめながらささやいた。

「どうしても行くことが出来なかった、君ひとり残して。」

   ヨンウォンが腕を回して彼と抱き合った。そして震える声で言った。

「私を助けたかったのね、寂しさから。」

   甲1は懐の中で、ヨンウォンの寂しさを取り除いてやった。死を取り去ってやった。

「ヨンウォン、今夜、一緒にいたい。」

「うん、私も。」

ヨンウォンはハッと我に返った。

「えっ?今…夜?一緒に?」


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ヾ( 〃∇〃)ツ キャーーーッ♡
奥さん、お泊まりでっせ〜
ちゅーデレデレ酔っ払い

何しはるんやろ?
見に行く?
行きましょか!
けど あの問題が…
ニヤニヤ

期待を持たせて終わりました
さて次は どうなるでしょうね

今日も読んでくれはって
ありがとうございました

ラブラブ