大阪ハリストス教会にご縁を感じていること
それは、、、
むかしむかし、四国松山にもハリストス正教会があったんだって
戦禍で燃え落ちた大阪教会の大鐘
割れて音が鈍ってるので庭に展示してる 100年前のロシア製
大阪ハリストス正教会は、戦前まで大阪天満橋にあったそうです
戦争で会堂が消失したため、吹田に移転新築した
※関西大学ロシア語専攻の学生さんたちとバッティング 同席して案内を受けました ラッキ✨✌️
イコノスタスとは
聖壁と訳されています
聖堂の聖所(会衆が礼拝を捧げる場所)と至聖所(聖壇のある所)を仕切るためのもの
イコン(聖画)複数だからイコノスタス
大阪ハリストス正教会が新しく聖堂を建築するとき、東京のニコライ堂・冬の聖堂からイコノスタスが移築されたそうです
東京ハリストス正教会↑
東京から移築したイコノスタスは、元々は松山聖堂にあったものです
冬の聖堂について
ニコライ堂は関東大震災で本堂が崩壊した
その再建のため、四国松山の聖堂(松山ハリストス正教会聖ニコライ聖堂)を東京に移築したそうです
松山聖堂は日露戦争のロシア兵捕虜のために建てられたもの
戦争処理が終わって捕虜もいなくなったのも移築の理由(信者がおらんようになった)
のちにニコライ堂は大きな本堂が建てられ、松山聖堂はこじんまりしていたため、冬の聖堂と言って主に冬使用したそうです
あんまり広いと暖房効率わるいからね
東京のニコライ堂には現在、松山のものは何も残っていないもよう
松山聖堂のイコノスタスは、100年前のモスクワのグリヤノフ工房製 当時のものはこの一つしか現存してないとのこと
西洋画の影響を受けたモダンな画風、当時のロシアの流行だそうでそれも貴重とのこと
国の重要文化財に指定とのお話があったが、宗教施設にて断ったと神父さまの弁 文化財になったら使用に制限があるんだって
元は松山にあったものが東京→大阪と移転して現存していること
100年以上前に松山にあったイコンを拝見している不思議
イノコスタス・イコンの配置
大まかに決まっているそうです
真ん中の門は左に受胎告知の天使ガブリエル
(百合の花持ってる)
右に告知を受け入れる乙女マリア
(聖書を読んでいる姿が定番)
その周りを4人の福音記者
(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)
正教会は福音の書を、敬愛しています
門の上部は最後の晩餐
黒まる左: 幼子イエス 右: 成人したイエスキリスト
(生と死 アルファαとオメガΩの象徴)
赤まる
右:受胎告知の大天使ガブリエル(百合の花持ってる)
左:大天使ミカエル
周りに、聖書の場面を写した聖画や聖堂にゆかりのある聖人を配する
拝見したところ、聖書の場面のようでありました
この日は土曜日で、徹夜祷といって聖歌と祈りの儀式(1から2時間でほんとに徹夜するわけではない)がありました
その徹夜祷に参加してみましたら
イコノスタスは、単なる文化財や芸術品ではないことがわかりました…
正教会は原始キリスト教会のふるい形を守っているため、わからないことも多々ありましたが
とても興味深かったです
松山聖堂のイコノスタスに会えて感謝✨
そのほか
ペトロス佐々木のイコン(修理前のもの)
修復されて大事に扱われていました
山下りんのイコン
山下りん:日本初のイコン画家、女性
イコンも沢山あった グルジアのめずらしいものも
大阪ハリストス正教会は、お電話すれば見学できるようです 日曜礼拝や土曜日の祈祷も未信者でも参加できます
興味のある方は連絡してみてください
※正教会でつかう名称は、スラブ語のようで、ブログ記載と違うと思うがお許しください
(ex.ミカエル→露:ミハイル)
※キリスト教用語も正教会とプロテスタントはだいぶ違うが、プロテスタント呼びしています
※牧師にあたる職は、正教会は司祭とか神父と言うようです
情報量多くてパンクする 終わりにします!
はぶあないすでい