去年、親族の葬儀で感じたこと
もっと率直に述べてみようと思う
考察もあります
🙏🙏🙏
あの葬儀のとき、認知症のすすんだ未亡人がおらんで大変だったんよ
なんで先にしんだ〜
一緒に連れてけ〜
っと、だれがなだめても無理だった
娘が、この調子やと本式に参加させられない、、、と言ったが
叫んでもええやんか身内だけやしと、参加することになった
式は菩提寺に頼んだ
ご先祖さまもお世話になっている、瀬戸内の島はほとんど真言宗の寺
そのお寺の若いおじゅっさんが、またとても良かった
成仏までの道のりを説明してくれた
お経(=真言=マントラ)の説明もしてくれた
そして最後に般若心経をみなで唱えた
その場にいた親族は、みな般若心経をそらんじていて、唱えることができた(教本も貸してくれた)
泣き叫んでいた未亡人も憑き物が取れたみたいに落ち着き、真言を唱えた
真言密教のマントラが、式場じゅう、そしてわたしの体中にも響き渡った
お寺や霊場で遊んで育ったから、真言が身に染み付いてるんだ! あちゃー
かめのこは大人になってからクリスチャンになり、教会で讃美歌を歌うようになったけど、真言みたいに身についてない、うわべのものに感じたよ あちゃー💦である
聖書にこんな話がある
もちろん、たとえ話
本当に切断せよと、言っているのではない
それに、わたしの場合、マントラ(仏教の教え)は血肉となって体を巡っているので、切り落とすことは不可能だ
うわ〜これどうしたらいいんだろう
マントラの響きは、圧倒的な存在感をもってわたしの体を支配している
(大袈裟な言い方やけど、祭りの太鼓がドン!となったら血が騒ぐ🩸あの感じです)
親族の救い(主イエスを受け入れて天に入ること)を祈ってきたが、これは無理だ!とも思った
そんな思いの一年、ずっとマントラが響いていたわ 四国におれば、折に触れて真言に接する機会があるだろ?響くんよ
オン カカカビ サンマエ ソワカ
バサラ ウン!ケン!
無理だと思いながら主の祈りで、ふと気づいた
あれ?あちしって奇跡じゃね?
マントラが響くわたしを主は救ってくださったわ
そして、
わたしの記念のためにこれを行いなさい といって頂くパンと葡萄酒
キリストの体、キリストの血がわたしの血肉となる 聖餐式の意味はこれなんじゃね?
マントラの流れる体そのままで、わたしの元に来なさい わたしの血、わたしの体をあげます
(なぜなら、あなたはわたしのものだから 何度でもわたしの血肉をあげます)
という意味なんだろう アーメン
と、考察はここまでです
はぶあないすでい

