小豆島に特攻訓練基地があった、75年以上むかしの話です。
栗栗栗栗栗

戦局が迫っていた1943年末。
陸軍特別幹部候補生制度が始まった。航空、通信、船舶の専門知識を持った下士官兵を養成する。
その船舶隊が小豆島に移ってきた。

(これを聞いた時、陸軍の船舶隊というので、ちょっと珍しい感じがしました)

海軍の予科練のように志願制で、15歳〜20歳未満の若い人が対象だった。

小豆島が選ばれたのは、
空襲がないこと、波が穏やかなリアス式海岸が訓練に好適、適当な宿舎があったことなどから。
当時の東洋紡績渕崎工場が宿舎でした。


四式肉薄攻撃艇  
通称マルレ(○レ)というモーターボートを使った攻撃訓練をしていました。
マルレはなんと、ベニヤ板でこさえていたそうです。急場作りです。

写真は海軍の攻撃艇 震洋。マルレと同タイプの艇


当初は、敵艦に接近し爆弾を落として急転回する攻撃計画でした。
が、特攻の方がより敵に与えるダメージが大きい、確実である。と、特攻に傾いていったという。
訓練基地を望む富岡八幡神社の敷地に、若潮の塔 といってマルレ部隊の慰霊塔があります。

つづく


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