5班 真鶴合宿 亀川石材店・亀川洋さんインタビュー | **法政大学 梅崎ゼミ**

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真鶴合宿インタビュー
亀川石材店4代目・亀川洋さんのライフキャリア




【小松石の職人として】

 「地味な石だけど、わびさびのある落ち着いた石として評価されています。日本的で好まれる石。」真鶴でしか採れない“小松石”の魅力をこのように語ってくれたのは、亀川石材店4代目・亀川洋さん。高校卒業後、ひとり愛知県にわたり、学校に通いながら4年間の修行を積んだ。その後、ふるさと真鶴に帰郷し、後を継ぐ形で現在の職についている。
 仕事内容は専ら石割り。朝、作業場に到着してから夕方まで、職人3人で石割りを行っているそうだ。「仕事に就いたばかりのときは石割りの作業で手を打ち付けてしまうことがあって、痣だらけだったよ。」職人の風格を感じさせるゴツゴツとした手を広げ、優しい笑顔を見せてくれた。
 亀川さんは、第2・第4日曜は休み、それ以外は仕事という生活を送っている。休みの日でも、何となく作業場へと足が向かってしまうそうだ。“モノづくり”の仕事に憧れ、飛び込んだ石材業の世界。作業場に無造作に置かれていた見事な石の彫刻に目を落としながら、その仕事の魅力を話してくれた。「モノづくりが好きで始めた仕事だから、自分の採ってきた石が作品になったところを見るときには、やっぱり嬉しいですよ。」心の奥から湧き出てきたような、「好き」の感情を垣間見た瞬間だった。

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↑石割りをする作業場。

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↑作業場にて。彫刻作品を見ながら話す亀川さんとゼミ生



【「他人の飯を食ってこい」からのスタート】

 父の仕事姿を見て育った亀川さんは、幼い頃から“モノづくり”に関心を持ち、大工のような職業に憧れていたという。そんな亀川さんが石材店を継ぐ決心をしたのは、兄の貿易会社への就職が決まったときだった。「ただ、そのとき、(家業がなくなることが)もったいないなぁ…と思ったんです。」その「もったいない」の気持ちが亀川さんを動かした。それは重たい責任感や使命感からではなく、自分の素直な想いからだった。
 高校を卒業し修行に出たきっかけを、父に言われた一言「他人の飯を食ってこい。」だったと振り返る。職人さんについて昼間は仕事を覚え、夜の時間で石材の専門学校に通うという修行生活。気持ちが折れそうになるときはなかったのか、という私たちの質問に「華がない仕事だから、服屋さんとかいいなぁ…と思うこともあったかな。」という以外な言葉も飛び出したが、石材の道に進むという気持ちの芯が折れることはなかった様子が伺えた。



【地場産業に隠されたパラドックス】

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↑採石場の様子。

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↑採石場のわきで作業をする職人さん。石に細い穴をあけ、棒を打ち込み石を割る

 真鶴には、小松石を扱う石材店が約30店あるという。墓石から彫刻作品にまで使用される小松石は、全国各地から石のブランドとして高い評価を受けている。そのブランド力は真鶴のまちにとっても誇りであり、基本的には“地場産業”として応援される立場にある。
 しかし、山肌の見える採石場で亀川さんが語ってくれたのは、矛盾を思わせる複雑な問題だった。
「石だって、限られた資源。あと20年で、私の店が採れる範囲は掘り尽くしてしまうんですよ。」各店舗の採掘範囲は、地元の石材組合によって割り振られている。「本当はそのすぐ横の緑がかった所からも小松石は採れるんだけど…」まちの景観を守る森林保護条例などによって規制がかけられているため、採ることができないそうだ。パワーショベルの音が鳴り響く採石場で、私たちはその現実を目の当たりにした。



【素朴な愛着】

「真鶴の“いつまでたっても変わらない良さ”を都会の人は羨ましがります。何もないのも魅力なのか、と気づいたのは30歳になってからだったなぁ。」亀川さんが真鶴に戻ってきたのは、そこに自分の仕事があったから。仕事の陰に隠れて無意識に芽生える、控えめな愛着。“ふるさとへの想い”というものは、案外私たちが想像するよりもっと、素朴な感情なのかもしれない。

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〈インタビュアー/文〉

りょう・あすか・セリ長