(画像提供:e-VIVID ―集いのお知らせ― 11月号)

 

2024年3月2日(土)、メルカリで購入した『愛と英知の道/ウイリアム・ジョンストン著』が届きました。アマゾンでの販売価格は3400円ですが、メルカリでは中古品として少しだけ値下げして2683円で売られていました。

 

こんなマニアックな本を中古品としてメルカリに出品するということは "もしかして?" ということですね。イグナチオ教会の岐部ホールで行われている<「沈黙のうちに神を求めてー観想の祈りへの道」講演と沈黙の祈りの実践セミナー>の参加者だったけどやめた方のお一人かも知れませんね。

 

 

下差し こちらが、メルカリで購入した『愛と英知の道/ウイリアム・ジョンストン著』です。これを教科書というかテキストとして、2024年3月14日(木)にイグナチオ教会の岐部ホールで行われる<「沈黙のうちに神を求めてー観想の祈りへの道」講演と沈黙の祈りの実践セミナー>で使用します。

 

 

下差し 一応、カバーというか帯には書かれてあるのは、「西洋と東洋の神秘主義の伝統に通暁した著者が、21世紀というグローバル化し、『地球家族』となった現代世界のすべてのキリスト者に遺した霊的生活の道しるべ。『すべての人は、聖職位階に属している人も、あるいはそれによって牧されている人も、皆聖性へと召されている。『あなたが聖なる者となること、これが神の望である』と使徒が言っているとおりである。(『教会憲章』39)」です。

 

 

下差し アマゾンで購入された方の感想もありました。実際に参加するのが楽しみですね。

 

(画像提供:AMAZON - 愛と英知の道 -すべての人のための霊性神学)

 

下差し そして、今回の<「沈黙のうちに神を求めてー観想の祈りへの道」講演と沈黙の祈りの実践セミナー>で講師をして下さるのが、私が37年前に受洗した金沢市内にあるカトリック広坂教会でチーム司祭 (コーディネーター) をされている九里彰神父さまです。

 

 

 

下差し 因みに、ウイリアム・ジョンストン神父さまというのは、北アイルランドのご出身で1943年に18歳でイエズス会入会され、アイルランドにて修練し、1948年にローマ・ギリシャ古代史の学士号取得。1951年に哲学修士号を取得された後に来日、1957年に土井枢機卿より司祭叙階。1958年に上智大学にて神学修士号取得されました。1966年に神学博士号取得された際の博士論文のタイトルは「不可知の雲」です。1951年から95年まで上智大学にて「宗教学」と「英文学」の講義を担当され、1954年から68年まで東京大学にて「英語」の講義を担当されました。本郷に瞑想センターを開設。1976年から79年まで上智大学東洋研究所所長としてご活躍され、1995年に上智大学教授としての仕事を定年退職、2010年に帰天されました。

 

 

 

 

まあ~、何と言っても私はフツパな不信仰者ですが、ある理由があってこんな真面目な<「沈黙のうちに神を求めてー観想の祈りへの道」講演と沈黙の祈りの実践セミナー>に参加することにしたのでした。

 

下差し 今から37年前に金沢市内にあるカトリック広坂教会で撮影したものです。左からアメリカ人交換留学生のテレサさん、18歳の頃の私が真ん中、右が事務員の若狭さんです。

 

 

下差し 2014年のゴールデンウイークに金沢を訪れた際に若狭さんにお会いして撮影しました。しかし、2019年4月6日(土)にクリストフォロ神父さまがお亡くなりになられてから、約60年間カトリック広坂教会で事務員をされていた若狭さんの認知症も悪化し2年前から特別養護老人ホームに住んでいらっしゃいます。しかし、九里彰神父さまのお話によると面会禁止の個室にいらっしゃるとのことで容体は余り良くないようです。一時は危篤状態だったということです。

 

若狭さんが使用されていたスマホも解約されたようですしね、若狭さんがお元気なのか?知るすべがありません。だから、この<「沈黙のうちに神を求めてー観想の祈りへの道」講演と沈黙の祈りの実践セミナー>に参加して、九里彰神父さまから若狭さんの現在の状況を教えて頂きたかったのです。

 

 

下差し 37年前にカトリック広坂教会の事務所で撮影しました、お若い頃の若狭さんです。でも、当時何歳だったのか不明です。18歳だった私が「事務のおばさん」と呼んだら、別のご年配の女性信者さんに叱られたんですよ、「お姉さん!って呼ばないと若狭さんガッカリするわよ!」って。

 

1992年の春に大学を卒業して9月にウィーン大学のドイツ語コースに入学するまでの約半年間、若狭さんの家でお世話になりました。当時はカトリック広坂教会から歩いて7分ほどの場所にある香林坊アトリオでアルバイトして小遣い稼ぎをして若狭さんの家で寝泊まりさせて頂きました。本当は2006年に本帰国した際に若狭さんに恩返しをしたいと思っていたものの、私は東京へ来てしまったし、若狭さんは誰からも好かれる女性で色々な方々がお世話して下さっていたようでしたので安心していました。

 

 

下差し 金沢市内にある四年制大学に通っていた頃、一人暮らしをしていた私は授業が終わると真っすぐ帰宅せずにカトリック広坂教会へ行き、毎日当たり前のようにこのソファーに座ってお茶を飲みながらお菓子を食べていました。毎週土曜日に非キリスト者の結婚式が行われ、その際に日本人の非キリスト者の参列者の方々が義理堅いので菓子箱を差し入れして下さり事務所には菓子箱が山積みになっていたからです。そこでお菓子を食べながら受付の手伝いってほどではないですが、若狭さんが銀行へ行っている間は私が来客の応対をしていました。フィリピン人の信者さんに「アナタ、フィリピン人みたい!」と言われたこともありましたけどね。

 

夕方になると青年会のお兄さんやお姉さんが来てお菓子を食べてから一緒に片町へ食事しに行き、教会に戻るとホームレスのオジサンにウドンを作りました。一回、ホームレスのオジサンに「ウドン不味い!」と言われたので、私が「インスタントラーメンなら上手に作れるよ!」と言ったら、オジサンは「インスタントラーメンはプロテスタント教会で食べてるからここはウドンでいい!」と言われました。

 

 

下差し 左から18歳の頃の私、中央が2019年4月6日(土)にお亡くなりになられたクリストフォロ神父さま、右がアメリカ人交換留学生のテレサさん。

 

 

※ 背景に「みんなで建てよう聖ヨゼフ苑」ってありますが、当時はまだ聖ヨゼフ苑はなかったようです。

 

 

下差し 今どこにあるか分からないのですが、当時はいつもこのピンク色のプルオーバーを着ていました。高校生の頃に通っていた日本伝道福音教団の女性牧師に「貴女、明るい原色が似合うわね~!」と言われ、自分でも確かにそうだな!と思っていました。原色というか赤色とかピンク色の意味だと思います。

 

セシール通販が始まったばかりの頃に買ったものです。あの頃のセシールカタログの表紙はドイツ人モデルのクラウディア・シーファーだったのを覚えています。