2023年12月28日(木)の記事「イディッシュ語についての動画(スマホ撮り)」で以前に私がドイツで暮らしていた頃にイディッシュ語を学んでいたことについて自撮り動画と共にお伝えしましたが、今回は新潟県の実家の本棚に保管されていたイディッシュ語関連の本について書きたいと思います。

 

 

 

新潟県の実家の私の部屋は、今でも私が2006年に本帰国した時のままになっており、ドイツやイギリスから持ち帰った懐かしさ溢れる物品を見て手に取って、あの時の自分は何を考えていたのか?など色々なことを思い出していました。

 

今からご紹介するイディッシュ語に関する本は全て、当時(1999年から2002年まで)私が暮らしていたロンドン北部にあるフィンチリー地区(Finchley)の Jewish Museum Finchley の小さな本屋さんで買ったものです。

 

 

 

下差し こちらの The World's Best Yiddish Dirty Jokes には、世界で最も汚いイディッシュ語ジョークが書かれてあります。

 

 

下差し 当時、5ポンドで売られていました。当時の日本円だと1000円です。

 

 

下差し こんな感じで1つのジョークが1つのページに書かれています。

 

 

下差し 「The bubbie is teaching the grandaughter how to cook. By accident an egg falls on the floor. "Nu, ich vell shayn machen a kugel."

 

イディッシュ語で「bubbie(祖母)」、「Nu(ドイツ語の "nun" 今の意味)」、「ich vell shayn machen a kugel.(ドイツ語にすると "Ich will eine schoene Kugel machen. = 私はキレイな球体を作ります。)」ですが、イディッシュ語では「kugel」というのは料理名です。そうすると・・・、「私はキレイなプディングを作ります。」となります。

 

 

ちょっとしたミスで床に卵を落して「私はキレイなプディングを作ります。」って・・・、全然面白くも何ともないですね。ユダヤ人にしか分からない面白さなのかな?

 

 

下差し こちらは、DICTIONARY OF POPULAR YIDDISH WORDS, PHRASES, AND PROVERBS の本です。結構、役に立ちそうなので買いました。

 

 

下差し 10.99ポンドで売られていました。当時、1ポンドが200円でしたので日本円にすると約2000円ですね。

 

 

下差し イディッシュ語は中世ドイツ語をヘブライ文字で表記した言語ですが、日本語の手紙が中国語ではトイレットペーパーになるようなレベルで単語の持つ意味が若干異なることが多いです。ドイツ語で「球」なのにイディッシュ語では献立名になったりしますしね。

 

 

下差し 例えば、「Zei gezunt」がドイツ語になると「Sei gesund!(お体を大切にね!)」となりますが、イディッシュ語では「Be well! Good-bye! Farewell」とあります。結局、日本語にすると「お達者でね!」ですね。まあ、「さよなら」の意味と言えばそうですが。

 

Zaftikeh moid!」をドイツ語にすると「zaftik」の形容詞は「saftig(ジュースのような、露骨な)」になり、イディッシュ語の「moid」というのは南ドイツ方言やオーストリア方言で少女のことで「メードル、又は、マードル(Madl)」からきていると思います。

 

 

下差し このYOUTUBE動画では、オーストリア人歌手のフベルト・フォン・ゴイセン氏(Hubert von Goisern)が「Koa Hiatamadl」という歌を歌っていますが、歌詞の中に「i mog a madl aus da stodt(イーモッカ マードル アウス ダ シュトット = 僕は都会派の女の子が好きだ)」という文章があります。WIKIからの情報によると、フベルト・フォン・ゴイセン氏(Hubert von Goisern)はザルツカンマ―グート付近のバート・ゴイセン村(Bad Goisern am Hallstättersee)のご出身だとのことです。オーストリア方言がイディッシュ語に似ているというのは極論かも知れませんが、早い話がこのオーストリアの田舎の方言が中世時代からそれほど変化していないと考える方が正しいのではないかと思いました。只、似ているだけで異なる部分も多いですが。

 

 

下差し この YIDDISH NATION OF WORDS は、買ってから一回も読んでいないです。

 

 

下差し これも殆ど値札の字が消えてしまっていましたが、10.99ポンドだったと思います。

 

 

下差し 適当にパッと開いてみたら、こんな感じになっていました。2006年に本帰国してから18年も経ってしまいましたが、新潟県の実家の本棚に保管されていたのでまだ読んでいないです。

 

 

 

そして、そもそも私がイディッシュ語に興味を持ち始めたきっかけというのが、私がユダヤ教徒が多く住む地域で暮らしていたということからでした。その地域で暮らしていただけでユダヤ教関連の素敵な思い出が沢山あります。

 

下差し こちらが、私がロンドンで暮らしていた頃に取得した運転免許証ですが、住所が「21 CHISLEHURST AVENUE LONDON N12 OHU」とあります。実は、私が住んでいたフィンチリー地区(Finchley)は多くのユダヤ教徒が住んでいる場所でもありました。そして、また「J&J TOWN(Jewish & Japanese Town)」とも呼ばれ香港系移民や日本人駐在員も多く住む場所でもありました。その北部ロンドンに位置するフィンチリー地区(Finchley)は「バーネット行政区( London Borough of Barnet)」に属し、ユダヤ教徒の住民が多く暮らしているので住民税が高いんですよね。ある意味では、そこはロンドンのブルックリン区のような場所でした。その代わりに治安が良いので日本人が集まってきたようです。

 

 

下差し こちらが、当時私が住んでいた「21 CHISLEHURST AVENUE LONDON N12 OHU」の家です。3階のオレンジ色が囲まれた部分が私の部屋です。私の部屋の窓の横は、共同のバスルーム&トイレの窓でした。この部屋が一ヶ月550ポンド(当時、11万円)でした。因みに、私の大家さんは一人暮らしのカトリック教徒のアイルランド人のお爺さんでした。その3階建ての下宿には他にも日本人学生が4人住んでいました。

 

当時、英語が下手だった私ですが、幸運なことにこのアイルランド人のお爺さんは戦時中にドイツで暮らしていたことがありドイツ語が話せました。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し 赤色の枠で囲ってあるのが、私が住んでいた「CHISLEHURST AVENUE」です。その付近にはユダヤ教改革派シナゴーグ「Finchley Reform Synagogue」やユダヤ教超正統派シナゴーグ「Finchley Chabad」がありました。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し そして、もう少し範囲を広げると82番のバスでロンドン市街地方面へ進むとテンプルフォーチュン村(Temple Fortune)付近にユダヤ教正統派の男児が通う小学校「Pardes House Grammar School」があり、その校舎はまるでハリーポッターの映画に出て来るような歴史あるビクトリア様式の素敵な建物でした。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差しこちらが、ユダヤ教正統派の男児が通う小学校「Pardes House Grammar School」の校舎です。82番のバスに乗ると、この小学校のバス停からキッパを被った男の子たちが大勢乗り込んできました。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し ちゃんと校舎の金網には看板が掲げられPardes House Grammar School」とヘブライ語でも表示されています。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し そして、校舎の入口がこちらの1860年に建てられたものでユダヤ教正統派の男児が通う小学校「Pardes House Grammar School」が買い取る前は Christ's College が所有していたとのことです。(WIKI参照→ Pardes House Grammar School)

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し 82番のバスでロンドン市街地方面へ走るとこのような美しい校舎が見えてきます。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し やっぱりね、外観だけ眺めて「素敵ね~!」というだけでは満足できない方は内観を見学する為にYOUTUBE動画をご覧になって下さい!

 

※ 因みに、インタビューの中で英語とイディッシュ語を混ぜて話す男子生徒や先生もいました。

 

 

下差し そして、82番のバスでユダヤ教正統派の男児が通う小学校「Pardes House Grammar School」の美しい校舎の前を通り過ぎたらテンプルフォーチュン村(Temple Fortune)に入ります。そして、このテンプルフォーチュン村(Temple Fortune)からユダヤ人が経営する商店街が始まります。

 

赤い看板「Kosher Paradise」の横にあるお店が「AISENTHAL(アイゼンタール、ドイツ語では [Eisental] で意味は「鉄谷」)」という看板を掲げていていました。当時、何も知らない私はここ周辺の地域はドイツ人村だと勘違いしていました。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し このスーパー店「MOSHE'S」の隣は精肉店で「fleishmans」とあります。ドイツ語で [fleisch] は「肉」の意味です。そのままじゃね~か!ということで、ドイツ人が経営していると勘違いしていました。それがイディッシュ語を話すユダヤ教徒の姓だと分かるまでは。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し [GOLDSCHMIDT] の看板は明らかにドイツ人名です。だって、イディッシュ語式に [sh] ではなくドイツ語式に [sch] になっていますからね。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し ユダヤ教コシェル食事規定の認定を受けているパン屋さんもありました。黄色の枠で囲った「KOSHER」がそれです。

 

しかし、当時、ここはロンドン市内にあるドイツ人村だと疑わなかった私はパン屋さんで安息日用のハラ―ブレッドを買う際にもドイツ語で「Einmal Schtriezel, bitte!(編み込みパン1つ!)」と言って買っていました。ドイツ語で編み込みパンをシュトリッツェル(Schtriezel)と呼びます。何だかんだ言って互いに理解し合えるんですよね。恐らく、それはオランダ人とドイツ人が母国語だけで互いに会話をするのに似ているのかも知れません。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し そして、ロンドン市街地へ向かう82番のバスで走っていると途中で大きな繁華街に来ます。ゴルダース・グリーン地区(Golders Green)という賑やかなユダヤ人街です。この鉄道の下をくぐり抜けるとユダヤ教徒が経営する商店街が集まっているゴルダース・グリーン・ハイストリート(Golders Green High Street)になります。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し ちょっと天気が悪いですが、右手の方向の奥にさきほどの鉄道の橋があるのが見えますかね?その左手を真っすぐ行くとゴルダース・グリーン・ハイストリート(Golders Green High Street)になります。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し この交差点、ラウンドアバウトの真ん中に立っている時計台が目印です。

 

もうここ周辺は、私にとってディズニーランドのような場所でした。82番のバスでここを通る度にウキウキ、ワクワクして途中下車をしてゴルダース・グリーン・ハイストリート(Golders Green High Street)を歩き回っていました・・・。カフェにはオーストリア風のお菓子なども売られていました。まあ~、今になって思えば、オーストリア料理のシュニッツェルやカルトッフェルプッファ―(ジャガイモのお好み焼き)、クラプフェン(ジャム入りドーナツ)などもユダヤ料理になっていますからね。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し この黄色い看板のお店 [BOOK WAREHOUSE] でユダヤ音楽のCDを買ったことがありました。女性用のカツラ屋さんもあって、あの頃の私はユダヤ教超正統派の女性のことを知りませんでしたので、どうしてカツラ屋さんがあるのかすら考えたこともありませんでした。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し 現在のゴルダース・グリーン・ハイストリート(Golders Green High Street)の様子をお知りになりたい方は、こちらのYOUTUBE動画をご覧下さい。

 

 

下差し そして、これらのイディッシュ語関連の本を買ったのはフィンチリー・セントラル駅付近にある Jewish Museum Finchley の小さな本屋さんでした。そこはユダヤ教改革派の小学校の構内にあり、その小さな本屋さんは学校の購買室のような場所だったと思います。スラっとした背の高いメガネをかけた白髪の中年男性が一人で店番をされていて、当時まだユダヤ教徒の友達がいなかった私にとってその方が人生で最初に会話をしたユダヤ人だったかも知れません。色々なイディッシュ語の話をして下さり、今では私にとってとても貴重で懐かしい思い出です、

 

 

下差し その Jewish Museum Finchley がある場所は紫色でマークしておきました。ユダヤ教正統派の男児が通う小学校「Pardes House Grammar School」よりもう少し東側にあります。フィンチリー地区(Finchley)にはユダヤ人学校やシナゴーグが多いですからね。

 

 

下差し Jewish Museum Finchley の住所が「80 East End Rd, London N3 2SY, London」ですから、ここになります。

 

やっぱりユダヤ教関連の施設ですので校門の横にある長屋のような建物の中に受付があって、そこで自分の名前などを記入します。購買室のような小さな本屋さんは、その校門の横の長屋の受付室の隣にありました。長屋の煙突から向こう側が本屋さんです。

 

 

下差し 「80 EAST END ROAD」の横には、モーセ十戒の石板の中にメノラーが描かれているマークがあります。その校門を入った向こう側に見える旗が壁に貼り付けられているところが Jewish Museum Finchley です。 日本からイギリスに友達が遊びに来る度にここに連れてきましたね。

 

 

下差し こちらは、私がドイツで暮らしていた頃に買ったユダヤ料理の本です。比較的にドイツではユダヤ教やユダヤ人について語ることはタブー視されている感じがしますが、それでも堂々とこうしてユダヤ料理の本(das juedische kochbuch)が売られていました。

 

 

下差し しかし、このユダヤ料理本を買ったのは一般的なそこら辺にある普通の書店でした。

 

 

下差し そのユダヤ料理本を開いてみると・・・、「な~んだ!ドイツ料理じゃね~か!」と思いガッカリしそうですが、あの頃の私は「ユダヤ」という単語がついている物品は全てほしかったのでガッカリしそうな本でも喜んで買いました。

 

「Seebarsch mit Kapern-Knoblauch-Butter」の「Seebarsch」は「ヨーロピアンシーバス」だそうです。それをケイパースとニンニクとバターで焼いたものです。レモンの輪切りもトッピングされています。

 

 

下差し こちらの「JUEDISCHE KUECHE Traditionelle Koestlichkeiten」もドイツにある一般的な書店で買いました。

 

 

下差し こちらのユダヤ料理本は、ヨーロッパのユダヤ料理というよりももっと中近東風の料理が紹介されています。

 

 

下差し 「MAROKKANISCHE KAROTTENSALAT」は、「モロッコ風人参サラダ」となりますが、大森にあるユダヤ教超正統派シナゴーグでも白金高輪にあるユダヤ教超正統派シナゴーグでも必ず茹でた人参サラダがサービスされます。おろしニンニクとお酢のドレッシングで和えてあって美味しいんですよね。

 

 

下差し こちらは、七面鳥のシュニッツェルです。これはオーストリア料理ですね。